【 公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞 】

やりたいことはできているか
神奈川県  吉田佳祐 38歳


 コロナ禍の最期だった。親族にも面会が許されない中、静かに息を引き取ったという。翌日に遺体と対面したとき、2歳の娘は、「ばぁばが来たのに、じぃじ起きないねぇ」と心配そうに顔を覗き込んでいた。
 遺品整理をしていると、本棚にびっしりと並んだ専門書の中に、子ども向けの「かんじのなりたち」や「こっきのえほん」が並んでいた。いつか孫に渡そうとしていたのだろうと思うと、目頭が熱くなった。
 彼が遺した書類の中には、入社して間もない時期に書かれた70年前の論文の原稿があった。コピーが何部も出てきたので、きっと思い入れがあったのだろう。しかし生前、この論文や仕事のことについて話をしたことはほとんどなかった。退職後の趣味であった植木の話を聞くことはあったが、今思うと、どんな仕事をどんな気持ちでしていたのか、もっと聴いておきたかったと寂しく思う。
 一方で、私自身のことを考えてみると、仕事に対する想いというのは、照れ臭くて子どもには話せないかもしれない。なぜ12年勤めていた業界最大手の企業を辞めて、社員がたった5名のベンチャー企業で製品の立ち上げから関わろうとしたのか、なぜ多忙を極める中でキャリア教育について一から学び、高校や大学の講師まで勤めたのか。いつか子どもたちに聞かれても、「なんでだろうねぇ」とはぐらかしてしまうかもしれない。
 しかし実はその理由は明白である。子どもが生まれたことで、私は働き方を変えたのだ。
 子どもの夜泣きが激しかった時期が、ちょうど仕事も多忙で、夜中も家で残業をしていた時期と重なったためか、あるとき子どもを寝かしつけながら、「いつかこの子から父の仕事について聞かれたら、何て答えようか」と真剣に悩んだことがある。その問いはしばらく私の頭に残り続けたため、休日に働き方の関連本を読み漁り、子ども向けのキャリア教育テキストまで読破した。そして、仕事とは、自分のやりたいことを突き詰めて社会貢献することなのだと自分の中で結論づけた。すると今度は、「お父さんのやりたいことって何?」と子どもから聞かれたら何と答えようかが気になり始め、オムツを替えながら悶々と考える日々が続いた。コロナ禍に働き方が変わったこともあり、仕事に対する自分の想いが薄れていることにも気づいた。
 ある日、子どもが寝ついたタイミングで、妻に「相談があるんだけど」と切り出し、今の仕事を辞め、まだ販売する製品もないベンチャー企業に合流して、ゼロから始めることを決めた。さらに、キャリア教育について書籍や論文で知識を得るだけでなく、実践して教育に貢献するため、ハローワークで相談し、高校で進路相談担当の非常勤講師も始めることにした。妻は「どういうこと?」と訝しがりながらも、背中を押してくれた。
 その経験を買われ、現在は大学でキャリアに関する講義を受け持っており、学生に対して、将来のために自分のやりたいことを見つけることを促している。しかし、私自身がそうだったように、やりたいことというのは変わっていくものである。特に近年は社会の変化のスピードが激しく、業務内容も目まぐるしく変わっていく。就職活動の時期だけでなく、働きながら、いま自分は何がやりたいのか、やりたいことはできているのか、ということを、時には立ち止まって考えてみることで、仕事に対する想いを明確にし、自分を前進させる力になるだろう。
 しかし残念なことに、エールというのは、特に身近な人からのものであるほど照れ臭く、面と向かって語られても、素直に受け入れることができないものである。そんな父が、いつか仕事のことで悩むかもしれない子どもたちにエールを贈るには、想いを文面に残すのが良いのかもしれない。
 いつか私の遺品の中から、子どもたちが見つけることを楽しみにして。

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