【一般社団法人 日本勤労青少年団体協議会 会長賞】

生きるための居場所作り
富山県  かじぃ

「自分の居場所を作っていくことなんじゃねぇ〜の」。
 これが、「働くことってなんだろう」という私の問いに対する幼馴染Tの答えだった。
 Tは美容師を営んでいる。彼の生き方に惹かれ、ずっと腐れ縁でお店の客としても通っている。彼の母親も美容師だった。面倒見がよく休日には児童養護施設を回って、子供たちの髪を切っていた。
 Tも母親の影響なのか、お人好しで、おせっかい。Tが30歳を過ぎた頃、突然、児童養護施設を退所した若者たちをバイトとして雇い始めた。しかも、若者たちが住み込みで働けるようにアパートまで無償で提供。一体、何を考えているのか聞いてみると、いつになく真剣な表情で私に語ってくれた。「児童養護施設を退所したら、あの子たちってどうなるか知っているか、お前?生活費と住む場所が、退所したその日になくなっちまうわけよ。お前だったら、その後どうするよ?キャバクラ、風俗、暴力団へと落ちていくのがザラだってよ。俺もお袋と同じように施設を回るようになって、なんか路頭に迷わないよう働くきっかけだけでも作れないかなと思うようになったわけよ」と。
 そこからの彼はすごかった。受け入れた子は男女問わず、まずは自分の店でバイトをさせた。美容師に興味を持てなかった子には、お客さんに頭を下げて、お客さんの働く会社でバイト的なことをさせた。長く続かずに、アパートからいなくなってしまった子もいたらしい。それでも彼は受け入れ続けた。血のつながらない見ず知らずの子たちのために、接客の仕方、レジの打ち方、掃除の仕方、カットの技術などを身につけさせていった。本当に熱心だった。
 5年前から私のカットを担当してくれている若い女性Mさんも、児童養護施設を退所した子だ。親からの暴力で中学3年生から高校3年生まで施設で育ったらしい。Tと出会い、お店でバイトとして働き始めた。Mさん曰く、一番嬉しかったのがご飯だったそうだ。Mさんは「店長のTさんは、料理できないって自分で言ってますけど、毎朝、必ず白いご飯とお味噌汁をアパートに持ってきてくれるんです。白米だけは食っとけって。なんか私、そのホカホカのもう食べきれない量のご飯を初めて見た時、なんだかすごく嬉しくて、泣いちゃって。あ〜ここで暮らしていいんだって。それでずっとここが居場所だと思って働き続けている感じですかね」と語ってくれた。私はなんだかTに対して頭が下がる思いがした。彼はそんなこと一言も言わずに、若者たちの父親であり続けているのだ。彼の店では今、6人の児童養護施設退所者が働いている。またお店のお客さんが働く会社の社長さんたちが彼の行動に感化され、今、ネットワークを作り始めているそうだ。美容のジャンルだけでなく、いろいろな職種にチャレンジできるようにしようというのが狙いだ。
 「お前すごいな」とTに言った時、彼は私にこう言った。「なんかアパートに行くと、仕事を終えたあいつら、いい顔してるのよ。『疲れた〜』とか言いながら、『でも人のために働けるってこんなに気持ちのいいことなんですね』とか言っているあいつら見ていると、寝る場所があって、働ける場所があって。そこがあいつらの第2の人生の居場所になるのってすごく大切なことなんだな〜と思うようになったわけ。まぁ俺が元気なうちは、やれるとこまでやってみるわ」と笑顔で話していた。
 実は私もTに感化された一人だ。自分の会社の上司に児童養護施設を退所した若者を試験的に受け入れてみてはどうかと今、提案している。住む場所もなく、親とも縁が切れてしまって生活費もない退所者たちにとって希望の光になるかどうかは分からないが、働く場所の選択肢の1つになってくれればと願うばかりだ。そして、その場所が、彼らの生きるための居場所の1つになってくれれば最高だ。私の力なんてTに比べたら微力だが、私のできることをこれからもしていきたい。

戻る