【公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞】

長く走り続けるための考え方のコツ
岐阜県  高井隆正
 働くということは、働き終わった時に感じる何とも言えない心地よい感じを味わうためでもあると僕は思う。もちろんお金を得るために働くというのは、第一義的だ。そして、社会の一員として社会に貢献するために働くこともまた然り。しかし、いざ働き始め、毎日が大変な量の仕事と向き合い、自分を追い込みながら頑張っていると、いつしか仕事が苦しいものとなり逃げだしたくなってくる。そんな時、自分をたすけてくれたものはなんだったかといえば、自然が時折見せてくれる多彩な表情であったと思う。毎朝の通勤時通る橋の上から太陽が照らすキラキラとした街の眺望。また、自転車で顧客を周っている時に優しく春の香りを運んでくれる風。そして、仕事帰りには、遠くの山の向こうへ沈む夕日が赤々と輝き、僕の一日の頑張りを労ってくれた。そんな時に、なんだか働くっていいなと感じることができた。
 自然も人間と一緒で毎日僕らのために、働いてくれているのかもしれない。
 僕は、一時期、自分を働き蟻として例えて考えていた。毎日、仕事という労働を繰り返し行った末に何が待っているのだろうかという疑念を生じさせるくらい仕事がつまらなかった。そして、疲れていた。誰も自分がやった仕事を褒めてくれはしない。僕なんかが、会社にいてもいなくても困らないじゃないかとさえ思った。ただ、後から考えると、そういった日々が、むしろ本当に働くということだったんじゃないかと思えてくる。なぜかって、生きるということは、大変なことだから・・・。つまり生きるためにする仕事が楽なはずはないっていう証明になるものだから。だから皆、口を揃えて、働く=生きることだと言うのではないだろうか。
 僕が若い人に伝えたいことは頑張って働くことは素敵なことだけれど、頑張り過ぎるといつか限界が来る。自分が発揮するエネルギーにはガソリンと一緒で限りがあることを忘れないでほしい。長く自分を操縦して走り続けることは、メンテナンスも必要であるし、コツもいる。そのためには、自分のことを大切にすることがとても大事。人から仕事で認めてもらいたいと思う前に、まずは、自分で自分を認めてあげたい。一日の働いた日の終わりに自分で自分を労って、「ありがとう自分。」と声に出して言う。するとなんだか少しうれしい気分になる。こうやって自分で自分にエールを送る。
 仕事でたどりつけるゴールというものは、本当はないのかもしれない。ただ、できるだけ遠くに、そして持ちこたえる人でありたいと自身で思う。
 先の将来が不安で見通しがつかないと感じる若い人は、まずは靴を大切にしたらいかがであろう。一歩前に踏み出す足を守ってくれる。一歩、一歩、自分と供に過ごす心強い仲間だと思えば、心が少し落ちつくのではないか。そして、例えば懐中電灯を手にして足元を照らしながら進めば、きっと目的地までたどり着けるから大丈夫。
 どんなに苦しいいと思える仕事があったとしても、未来の自分が、その時の自分を確かに愛おしい感じてくれるはずだ。大丈夫だ。確かに君は、頑張っている。今は、何もできなくても、生きてさえすれば、頑張れるのだ。なぜって、自然がそうであるように生きること自体が働いていることだから。
 「よくやった、自分。」そう声をかけて優しく自分自身を労い過ごしていく。そうしている間に、働くことがだんだん楽しくなっていくはずだから。
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