【 奨 励 賞 】

【テーマ:現場からのチャレンジと提言】
インドネシアで見た働きの価値観
立命館アジア太平洋大学  佐 藤  明  20歳

今現在私は、大学2年生でインドネシアにいる。文部科学省の留学奨学金制度を利用し、長期のインターンとして東南アジアを中心に活動しているの。高校生の時から苦戦していた英語は一体何だったのか。とてもスムーズに英語を通して、現地の人とコミュニケーションが取れる。

インドネシアは、国民の約90%がムスリムである、イスラム教の国だが、私が親しくするNGOの職員のベンは、この国で僅か7%のキリスト教を信仰するカトリックだった。私は特に何か宗教を信仰しているわけではないが、不思議とその地に住むキリスト教の人達と関係が深くなった。“外国人” というマイノリティを抱えて、半年の時を過ごしてきた私と同じ、この国に置いて少数派だという意識が、どこか私達に連帯感を生みだしたのかもしれない。今まで見たことのない現地の深い文化、人との生活、日常は私の日本人としての意識に様々な影響を与えた。

特に、“働くこと” についての意識は、この半年間で大きく変わりつつある。

私は現在、大学を休学しており、日本に帰り復学すれば二年の後期からの再スタートとなる。今まで順調にストレートで進んできた学年は、周囲と比べて一年の遅れを取ることになるのだ。大学の友人たちが、就活だと慌ただしく動く中で、私はどこか現実味を欠いたような気持ちでいた。

私は、自分の家庭環境により幼い頃から、現実的に将来を見据えるような性格になった。労働とはかくも苦しいものであるが、社会の上位の組織に属することが、胸を張って生きて行くための唯一絶対の手段であり、自分の目指す理想的な将来はそこにしかないものだと思っていた。

しかしその幼い頃から培われてきたその絶対的な価値観は、今壊されようとしていた。“人はどこでも生きていける” という、そんな単純な事実を今さらながらに実感したからだ。

このインドネシアに住む人々の働き方は、私の見てきた日本に比べて、自由だ。あまりものも持たず、簡単に言えば、気楽に生きている。当時この国に来たばかりの私はそんな状況に愕然としたものだ。

異文化に揉まれ、葛藤し、驚きながらも日々過ごしてきた私が、忘れられないのはつい2か月前のベンとの会話である。その夜は、私と彼だけで食卓を囲った。インドネシアでは珍しい豚肉を彼と一緒に食べ、少し奮発してインドネシアでは高価なビールも空けた。

彼はインドネシアで一番といってよいほどの大学を卒業し、その当時まだ発足したばかりだったNGOに身を置いた、変わった経歴の持ち主だった。その日、私と彼は初めて真剣に何かを話した気がする。

“何故NGOで働くことを選んだのか” という私に対しての彼の答えはシンプルだった。“僕はサンダルの方が好きだから” そう言った彼に私は意味が分からず質問を重ねた。“車はいらない。僕はバイクでサンダルを履いて風を切るのが好きだから。毎日雑踏に揉まれ、時間を気にして生きて行くのではなく、子供達の笑顔を毎日見られる職業に就きたかった”

他のどんな人物に言われるのではなく、彼の働きを毎日見、その仕事ぶりを知った、彼の言葉だから胸に深く届いたのだと思う。

どんな大学生も、就活生も必ず一度は自分自身に問い掛けるだろう。“自分はどのようにして生きていきたいのか” と。しかし、ほとんどの人々はそれを打ち消し、より多くの人が望む生き方を自分の生き方にしようとする。

私は今後きっと大学に戻るし、就職活動をする。そして労働に対する成果を正当に得ようとするだろう。しかし、この世界は広く、人間はどこでも生きていける。どんな選択肢を選ぶことはできる。ということは必ず頭に入れておこうと思う。

“自分の選択肢は自分が思っているものよりも、実はもっとたくさんある” と言うことを、実感として知っているという事実が、今後社会という荒波で帆を張る私の背中を支えてくれると思うのだ。

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