【 佳   作 】

【テーマ:仕事を通じて、かなえたい夢】
誰がために働く
神奈川県  タ ッ チ  31歳

「ママと一緒にねんねしたいよ。」

娘は就寝時、いつもそう呟いていた。

「大丈夫だよ」と一言伝えて、寝かしつける日々。


それは梅の花が咲き誇る頃から、桜の花がとうに散り葉桜となる季節まで。

妻不在の父子生活は、約2ヶ月もの間続いた。

遡ること今年の3月。専業主婦の妻、2歳の娘、父親である自分。

そんな我が家にその時は唐突に訪れた。

妻が鬱病で入院することになったのだ。


仕事は繁忙期を迎えていた。だが子どもは未就園児。

事情があり親族には託せず、自分が見るより他になかった。

妻の入院と看病、そして育児のために、上司に頭を下げて休みを申し出た。

幸いにして休職の許可がおり、そこから父子2人の生活は始まった。

だがそれは、出口の見えない暗闇のトンネルの始まりでもあった。


妻はまた元気に回復するのだろうか。

保育園入園は無事決まるのだろうか。

仕事にはいつ復帰できるのだろうか。

果たして、子どもは大丈夫だろうか。


孤独なワンオペ育児の中、押し寄せる不安の波は途絶えることがなかった。

気づけば自分にも不眠や倦怠感が現れ、心身共に限界まで追い込まれていた。

だが倒れるわけにはいかない。

家族を守ることができるのは自分しかいなかったからだ。

娘に寂しい思いをさせまい一心で日々を乗り切っていた。


そして気づけば新緑の季節が訪れていた。

娘は保育園が決定し、妻も退院。

自分の仕事復帰の目処も立った。

それは時にして5月半ば。その頃になりようやく、我が家にとっての令和の道は開き始めた。


妻の入院を機に、働くってなんだろう、と本気で考えさせられた。


家族を養うために働いてきた自分だが、当時は家族を救うために働かない道を選んだ。

どうしても難しい場合は娘を施設に預ける道もあったが、それだけは選びたくなかった。

自分にとって大切なのは、あくまでも仕事より家族だったからだ。

そして今は無事復職を果たし、以前と同じく家族3人で時を共に過ごしている。

それは当たり前のようで、当たり前ではなかった日常。

悩み苦しんだ時を経て、家族で健康に過ごせることがいかに幸せなのかを感じさせられた。


そしてもう一つ気づいたことがある。

家族を支えるために働いてきた自分だが、そんな自分自身もまた仕事に支えてもらっていた、ということだ。

突如仕事を休むことになったその喪失感は、休める安堵よりも遥かに大きかった。

過労問題が問われるご時世だが、仕事をできることへの感謝もまた確かに感じられた。

給料をもらえる嬉しさ、キャリアを積み重ねていくことで生まれる自信、新たな目標。

そんなことを考えて初心に戻ることができ、今の仕事が好きなのだと改めて気づかされた。

仕事よりも家族と述べたが、仕事も自分の自己実現に欠かせない、大切なものだったのだ。

仕事と家庭を両立させること。それは決して簡単なことではない。

だが、その両輪が足並みを揃えた時にこそ、大きな至福を感じられると、今だからこそ思う。


今日も一日仕事に励み、帰路に着く。

玄関のドアを開けると、娘が部屋の奥から走ってきてこう告げる。

「パパ、おかえり!一緒に遊ぼう」

家族3人で夕食を食べ、就寝前までのひと時を共に過ごし、灯りを消して3人で床に就く。

「パパ、ママ、今日も一緒にねんねしよう。また明日ね、おやすみ。」

それは当たり前の光景かもしれない。だが我が家にとっては、暗闇のトンネルをくぐり抜け、ようや

く辿り着いた先に見えた景色。そんな日常を眺めながら、心からこう思う。


あぁ、これこそが幸せなのだ、と。


きっとこの先も幾度となく辛い時期は訪れるだろう。

だが、それを乗り越えた先に得られる幸せも確かにある。

家族、そしてこの令和時代を生きる多くの人が、日常に幸せを感じられるように導くこと。

それが、対人援助職に携わる自分自身の叶えたい夢だ。

暗闇の中を燦々と照らし、そして自らもまた幸せを感じられる存在となるために。

新時代令和の道のりを、一歩ずつ歩んでいきたい。

戻る