【 佳   作 】

【テーマ:現場からのチャレンジと提言】
その瞬間の最適解
香川県  花 織  30歳

「新卒というカードを切れるのは一生に一度だからね。ここに一生勤めたい、と思えるような会社を選ぶんだよ。」

「一生同じ会社にいるとは限らない。いつか辞める日が来るかも、と思って働くと良いですよ。」

私は同じ口で、正反対のセリフをしゃべっている。どちらも嘘ではないと心の底から思っているからだ。

まだ足を踏み入れたこともない社会の中で、自分の居場所を必死に見つけ出そうとしている就活生。いざ社会に出た後、自分の選んだ会社に違和感を持ち、新しい居場所に抜け出そうとする転職希望者。

その時置かれた立場で、『その瞬間の自分にとっての最高の選択』をすることが、人生を、そして社会を上手く歩むコツである。「こうあらねばならない」という固定概念は、ときどき判断を鈍らせる。

私がたずさわっているのは、就職支援事業だ。求人広告に掲載する原稿を作成し、採用企業に取材をし、ときに就職希望者と向き合いセミナーやアドバイスを行う。現在は独立しフリーランスとして働いているが、かつては大手人材採用系企業で勤めていた。

会社勤めだった頃は仕事のやりがいにも、上司にも、後輩にも恵まれていた。私は当然、この会社でずっと働くのだと根拠もなく信じていた。「就職活動をした時の私の選択は間違っていなかった、入社した会社でこれからもずっと働き続けるんだ!」と心の底から思ったものだった。

入社して数年後のある春のこと。朝起きるたびにベッドのシーツがびしょ濡れになるほどの大量の汗と、原因不明の熱に悩まされる期間が数週間続いていた。タイミングよく会社の健康診断の時期でも

あったため、念のためにと受診した病院で私が下されたのは『悪性リンパ腫ステージV』という病名であった。

「高悪性度のため、抗がん剤・放射線治療のちに骨髄移植を推奨」「移植手術中の死亡率数%、治療後の長期生存率50%以下」と、立て続けに告げられた時には、あまりに現実味がなくてしばし呆然としたものだった。

これからのキャリアを考えると、退職することはあまりにリスキーだった。悩みに悩んで内定を勝ち取った就活生時代。なかなか芽が出なかった新人時代。実力をつけ後輩の指導を任され、やっと実力が認められはじめた現在……今までのことが走馬灯のように駆け巡った。積み重ねてきた努力を手放すのはあまりにも惜しかったのだ。

しかし「未来の自分の人生を考えるのは、今の自分が生き残ってからだ」という周囲のアドバイスに我に返り、会社を退職することを選んだ。

入社するときには「この会社が今の自分にとって最高の場所だ」と確信して、数えきれないほどある会社の中からとびきりの1社を選び出したつもりだ。結果的に、それほどの思いを持って選んだ会社でも、数年後思わぬ形で退職の日を迎えることとなった。

しかし、今でも当時の選択は私の中で生きている。現在フリーランスとして活動しているスキルは、すべて当時の会社から学んできたものだし、術後経過が奇跡的ともいえるほどに良好なのは、当時すっぱり会社を退職して、すべての時間を治療に費やすことが出来たからだ。

昨年から、就職支援の対象は高校生にも広がった。彼らにとって『キャリア』『人生の選択』という言葉は、まだいまいちピンときていないワードのようだ。「やりたいことはないけど、周りに合わせて何となく大学に行く」「就職はどこでもいいから、内定が出たところにテキトーに行くつもり」そんな言葉をよく聞く。

彼らと話す時、私はときおり自分の人生の一部をサンプルとして語る。私の選択と人生は、彼らの目にどのように映っているのだろうか。『その時に置かれた状況で、最適だと思える答えを悩み苦しみ、絞り出すように決めれば、どんな形でも後悔しない未来につながる』これを私の人生をもって伝えられたら、と心から思う。

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