【 奨 励 賞 】

【テーマ:現場からのチャレンジと提言】
次はだれかのために
東京都  た む  50歳

学生時代、私はコピーライターを志し、広告クリエイティブ塾に通っていた。ある日、講師の先生が紙に線を書き始めた。

1本目に先生が書いた線は、まっすぐ左から紙の右端まで伸びていた。ところが2本目、同じように左からスタートした線は、上下へ大きく曲がり、右端に届く前に欄外に消えた。先生は、この線はどちらもコピーライターを目指す人たちだと言った。最初からトップを走ったまま伸びていく人もいれば、結局仕事が合わず消えていく人もいる。

私は社会をまだ知らなかったが、人の成長速度には差があり、時には間に合わずゴールできない人もいるということに驚きはなかった。それでも改めて乱暴に書かれた線をみて、その厳しさを感じた。

1年後、私は念願のコピーライターになったものの、早くも落ちこぼれた。顧客の要望を汲めずクレームになる、原稿のミスをだす、締め切りに遅れる。結局そのまま4年連続で最低評価をもらい、業績の悪い他の営業所へ異動となった。私こそが欄外に外れる線だった。

異動先でもらった仕事は、意外にも毎週制作依頼が入るような大手だったが、コピーライターが喜ぶような顧客ではなかった。何十もある営業所の地図や電話番号など必ず入れなければならない情報があり、自由に表現できないからであった。さらに、顧客の修正が多く、締め切りぎりぎりまで直しを要望されることも不人気の理由の一つだった。

それでも欄外に消えそうな私に顧客を選ぶ権利がない。広告の効果をなんとか出そうとした。電話番号の位置、大きさはこれでいいか、デザインはA案とB案どちらがよいか。細部までこだわった。

原稿は週刊誌のスケジュールに合わせ一週間でつくらなければならなかった。それなのに出すたびに修正が出て、締切ぎりぎりまで顧客とやり取りした。毎週入稿を終えるとへとへとだった。

毎週広告がでて、毎週その効果が集まってきた。今でこそ当たり前だが、データ分析により広告表現を検証することは、当時は十分になされていなかった。インパクトがあるかないかを主観で論じていた時代だ。しかし私は広告表現を科学的に検証し、原稿表現の正当性を語ることで、繰り返し続く顧客の修正に対抗したいと考えた。私は膨大にたまった効果情報を分析し、そして私なりの “効果がでる広告表現の方程式” を考えてみた。その方程式を、当時営業所内で毎年開催されている論文大会にもまとめて提出してみた。

その論文は営業所内で入賞した。来週になればだれが賞をとったんだっけ、と忘れられてしまいそうな小さな功績だった。驚いたのはその論文を、本社の人事部長がみていてくれたことだ。突然営業所に姿を現し、論文の視点が面白かったと声を掛けてくれた。その部長は社内でも有名人だったので、周りもみていた。仕事でこんなにドキドキしたのは初めてのことだった。

その日から、私は少しずつ変わった。自分の考えを肯定できるようになる。顧客への提案書、書いたコピー、会議での発言、どれも自信をもって出せるようになった。これまでやらなかったような挑戦もし始めた。優秀なパートナーと組むようになり、仕事の質も上がった。それまで取れなかった社内外の広告賞をとるようになった。

あの時、たくさんの営業所のたくさんの論文の中から、人事部長が私の論文をみつけてくれなかったら、たぶん私のキャリアは違うものになっていたと思う。いいぞと言ってくれた一言が、どれほど私にとって大きなことであったか。

おそらく、だれかに自分の力を認めてもらい、期待をかけてもらった経験は私だけのものではないはずだ。私たちはだれかに認めてもらうことで、大きく力づけられる。そして、それがどんなにすてきなことか身をもって知っている。だから、次はだれかの番。私たちがだれの中にある何かをみつけてみよう。

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