【 奨 励 賞 】

【テーマ:仕事探しを通じて気づいたこと】
自分を信じ目標を持って行動することの大切さ
北海道  金 内 大 輔  46歳

「肺と肺の間に大きな腫瘍がある」、「どんどん大きくなっているから悪性」、それをつなげて「悪性縦隔腫瘍」。大学入学後わずか5か月目、夜のナースステーションで告げられた病名。今から約26年前の19歳。大きな病気経験の無い私は、「悪性」や「腫瘍」の意味さえよくわらなかったが、ほどなくしてそれがガンであることを知った。4か月間の抗がん剤治療と手術で腫瘍を摘出したものの、再び腫瘍マーカーが上昇し、「また抗がん剤を始めるから」と回診に来た主治医に言われた。直後、私はトイレに向かうとなんとなく右足がしびれていることに気が付いた。「さっきまで正座していたから・・・、いや右腕も、顔の右も・・・違う、右半身全部・・・!」。

「脳に転移した・・・」。次第に増えた知識から瞬時に判断しつつ、ふらつきながら戻ったベッドでナースコールを押した。医師と看護師に状況を伝えたが、恐怖と不安で涙が止まらない。看護師の目にも光るものがあり、私の予想は確信となった。「車いすになるのかな・・・治るのかな・・・」。様々な不安の中、放射線治療と更なる抗がん剤治療の後退院。幸い麻痺も残らず1年遅れで復学し4年生となった。

今度は就職活動が難航し、悪いことに脳腫瘍の再発もあり2度目の放射線治療を実施。数か月後にはその治療の後遺症で右足に麻痺が現れ出した。なんとか1社から内定をもらい、翌年3月から勤め始めるものの、次第に右腕にも麻痺が現れて入院、すぐ退院したもののわずか3か月で退職となった。

その後は、入退院を繰り返しながら、就職活動と体調のすぐれない日々を両立させながら過ごしていた。そんな時、これまで漠然と続けていた就職活動について、“自分は何がしたいのか?”、“自分の強みは何なのか?” ということを深く考えていた。入院中目にしていたリハビリを受ける患者さんの姿や、25歳になったが過去の病気治療と障害を抱えている現状を振り返って思い浮かんだのは、まさにこの体験こそ他の人がしたくてもできない経験であり強みではないのか?そうした思いから目指したのが理学療法士(PT)だった。右麻痺もありすぐにできる仕事とは思えなかったが、今後の治療次第で可能だと信じ受験勉強を始めた。だが、2年間受験したもののすべて不合格。麻痺の改善も期待ほどではなかった。

それでもリハビリの仕事が諦めきれず、倍率は高かったが国立の言語聴覚士(ST)養成校へと目標を変えた。“麻痺があってもできる”、“リハビリの仕事”、“学費も賄える” その3点から見つけた希望の光であり、合格できれば必ず道が開けるという強い思いがあった。ところが、3年間受験したが合格は叶わなかった。一方、同じ時期に父親から聞かされた公務員の障害者採用試験も並行して受験していたのだが、自身の中途半端な気持ちと高倍率にも関わらず合格し、31歳の新採用事務職員として小学校勤務が始まった。

“麻痺があるからPTは無理だ”、“国立のST養成校は難関だから無理だ” と、最初から諦めていたならばこの結果は無かったはずだ。実際、公務員の採用2次試験で、3年間STを目指して受験してきたことを面接官に驚かれた。病気前の私は、すべてにおいて頭の中で考えた失敗を恐れ、チャレンジをせず、うまくいきそうな選択肢を選ぶ人生を生きていた。だから、3年粘った自分は、過去の自分と違う選択をしたからこそ面接で評価してもらえ道が開けたと思う。

3年前、ガンから復帰し再び100km マラソン完走を果たした人に出会い、一緒にマラソン走りましょうと誘われた。さすがに無理と思いながらも、その言葉が引っかかっていた。全校で毎日朝マラソンを実施する学校に赴任したことにもきっと何か意味があるはずだ。その後、3 km の大会にエントリーし始めた私は、目標に向かう努力が人生を良い方向に変えることを、今度はマラソンを通じて実現させるつもりだ。

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