【 奨 励 賞 】

【テーマ:仕事探しを通じて気づいたこと】
奮闘努力の甲斐はある!?
東京都  森 林 樹  38歳

映画「男はつらいよ」の主人公・車寅次郎は、労働と向き合い続けた人物である。寅さんの職業は露天商。縁日などに露天を出して物を売る、テキ屋と呼ばれる商売人だ。自由と言えば自由だが、不安定と言えばこれほど不安定な仕事もないだろう。

だからこそ、寅さんは人一倍正業に憧れを抱いていた。豆腐屋、汽車の釜焚き、工員、酪農家、はたまた僧侶まで、挑戦した仕事は数多い。正社員になろうと企業に履歴書を送ったことさえあった。しかし、どれも長続きせず、結局テキ屋に逆戻り。「やっぱり地道な暮らしは無理だったよ」と言って旅に出るのが、映画のもう一つのパターンである。

そんな寅さんを見ていると、自らの就職活動のことを思い出す。私が大学を卒業した2003年は、就職氷河期のまっただ中で、大卒就職率が55 . 1%しかなかった時代である。「ロストジェネレーション」という言葉があるが、私はまさに時代の逆風を受け、嵐の中で失われた世代の一人だった。

エントリーシートを書きまくり、100社近く入社試験を受けたが、結果は全滅。卒業と同時に「大学生」から「無職」にクラスチェンジした。つきあっていた女性にもあっさり振られた。振られるのは寅さんと一緒だが、こっちは無職である。曲がりなりにも稼業で収入を得ていた寅さんよりもタチが悪い。当時の絶望と焦燥を思い出すと、今でも変な汗が出る。

幸い無職生活は1年間で終了し、何とか周回遅れで社会に出ることができた。しかし、一歩間違えれば、寅さん以上に不安定な生活を送っていたかもしれない。そんな経験を通じて学んだのは、「努力は必ずしも報われないが、何かを成し遂げるには絶対に努力が必要である」というシンプルな哲学だった。

辞書で「努力」を引くと、「心をこめて事にあたること」とある。言うならば、「物事に真剣に取り組む姿勢」であろう。その意味で、最初の就職活動時の私には、決定的に「努力」が足りなかった。試験対策もせず、企業研究もせず、OB訪問もせず、説明会にさえ行かなかった。受けた会社も商社やマスコミなど華やかな会社ばかり。自分が何をしたいのか、どう生きたいのかを真剣に考えてはいなかった。それどころか、自分の人生に向き合うことが怖かった。そんな人間に将来性を見いだすほど、企業も社会も甘くはなかった。

好むと好まざるとに関わらず、就職は人生の大きな転機であり、現代日本における通過儀礼の一つである。就職が全てではないが、人生を踏み出す方向がある程度決まると言えるだろう。やみくもに努力ばかりを求める時代ではないし、「失敗したのは当人の努力不足」という無責任な自己責任論に与するつもりはもちろんない。しかし、人生をかけた大勝負を前にしてまず求められるのは、自らの弱さを認め、己を乗り越えるべく奮闘努力する姿勢なのではないだろうか。

「あぁ生まれてきて良かったな、って思うことが何べんかあるじゃない。そのために人間生きてんじゃねえのか」──。おいの満男に生きる意味を問われた寅さんは、こう語る。家族に就職が決まったことを伝えた瞬間は、私にとってその「何べんか」の一回であった。

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