【 佳   作 】

【テーマ:仕事を通じて、かなえたい夢】
大志を抱いて
岩手県  中 村 祥 子  55歳

大志を抱け、と育てられた。だが、現実は厳しい。高校2年の秋、家の事情で進学を断念しなければならなくなった。通っていたのは進学校で、仕事に役立つ資格は何も得られない。そんな状況でも、給料が一番高い就職先を希望したのは、5年も働けば自力で進学できると考えたからだ。

もちろん、社会は甘くはない。就職後は何から何までダメ出しの連続、使えない新人と呼ばれて、自尊心はぼろぼろになった。その上、挨拶だよと異性に胸を触られる。腹を立てれば、大人げないと同性からも嘲笑される。上司には「仕事が追いつかないなら残ってやれ」と命じられる。残業するのは能力不足。セクハラもパワハラもない時代の話である。

それでも、全ては大志の実現のため、と思えば乗り越えられた。受験勉強を中断して仕事の勉強を優先したことで、周囲の目が変わった。職場に自分の居場所ができ、チームで働く喜びを知った瞬間、私は仕事の面白さに目覚めていた。

進学資金は着実に貯まっていたが、適齢期になると上司からの縁談話が続いた。断りながらも無理矢理会わされると、案外いい人だったりするから、人生は面白い。家は漁業だが、相手は事務職で後継者になる気はないと言う。経済的な心配もなく、仕事を続けるのは構わないが、私の給金は当てにしないからご自由に、と有難い話だった。

不思議なもので、悩んでいる時には思わぬ方向から答えが舞い込むものらしい。ふと目にしたのは、自宅で勉強できる通信大学のポスターだった。これなら結婚しても、大学への進学が可能だ。就職して5年後、私は養殖漁業を営む大家族の嫁となっていた。

すぐに妊娠したが、第一子出産後も8週で職場復帰した。仕事は順調で、職場の期待に応えて専任者の通信教育も受けた。重要な部署に配属され、残業や出張が増える。家庭と仕事の両立のため、睡眠時間を削る生活だ。忙しいからこそ、何事も効率的に働く工夫は欠かせない。それが認められて、中堅クラスの講師にまで抜擢されるようになっていた。

大志のための進学、進学のための仕事だったが、無理が重なり第二子の妊娠と同時に体調を崩した。育児制度はあるが、人員は補充できないと宣告された。残業でやっとこなしている勤務体制なのに、同僚に迷惑をかけながら休暇を取るなど、できるわけがない。

今は、子育てに専念すべきではないのか。

退職を決めたとたん、「これだから女は」と罵倒された。自分自身も未練を残しながらの退職である。しばらくは、社会から離脱した疎外感に苛まれていたが、繁忙期だけ、と漁業を手伝い始めると、毎日当てにされるようになっていた。能率を高めるノウハウは、どんな職種でも役に立つ。しかし、農業なら晴耕雨読も可能だが、漁業にはない。実親の介護という予期せぬことも重なって、大学どころではなくなった。しかも、30代半ば。自分の進学より、子どもの進学を考えなくてはならない。漁業手伝いの傍ら、家事と育児、実家の介護にも通うという多忙な生活が、9年ほど続いていた。

そこに、あの東日本大震災が起こった。

介護していた親が亡くなり、養殖施設は大津波にさらわれた。甚大な被害で漁業は廃業したが、夫が独立して自営事務所を始めていたこともあり、夫の補佐となり現在に至る。

さて、肝心の大志は、どうなったのか。

諦めてはいないから、こうして今も書き続けている。注文されて書くのではなく、自分がどうしても書きたいと感じた作品だけを書く。それが私の大志だ。執筆業だけでは生活できないから、資格のある本業を得る。そのための学歴、と考えてきた。しかし、人生経験に勝るものなど、何もないのではないか。

大志のために働き続けている。仕事にやり甲斐も感じている。大志を諦めるのは、この世を去る時でいい。そう思って生きている。

戻る