【 公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞 】

【テーマ:現場からのチャレンジと提言】
先輩のY先生に学ぶ
北海道  安 藤 信 男  70歳

私は、小学校の教員免許状を取得し、1学年1学級の小学校に採用され、4年生の学級担任になった。22歳だった。

今、振り返れば、このことだけで私は、子どもを私の思うように育てることのできる教師になったと勝手に思い込んでいた。

ところが、現実は違った。

私の担任した学級は、授業中の子どもたちの私語が多い。子ども同士のトラブルが多い。弱い子をいじめる等の問題行動が日ごとに目立つようになっていた。私はこのことを、私の未熟な指導力にあると思わなかった。この原因は、保護者や家庭の養育力のなさや子どもにあると思い、一方的に子どもを叱ることや親の養育の改善を求めることが多くなっていた。それでも学級の子どもたちの実態は変わらなかった。私が思うようにしようとすればするほど、そうはならなかった。そのことで、逆に保護者は、私の指導力のなさを指摘し、私に対する信頼が薄れて行った。

そんなある日、授業中にT君が小便を漏らした。私はあわてた。しばらくどうしたらよいかわからず、T君を見ているだけだった。すると2、3人の子どもが、教室を出て行った。前学年の担任だった、隣の学級のY先生を連れてきたのである。Y先生は、T君をみて、優しい顔で、

「急に出たくなったのね。誰でも人間は失敗することはあるのよ、大丈夫だよ」と、言いながら、手を引いて素早く教室を出て、保健室に連れて行った。

私はこのY先生の一連の言動を見て、はっとした。長い間、T君が恥ずかしい思いをしないようにする優しい言葉がけと行動、あくまでもT君の立場、子どもの立場を大事にしている。私と全く逆だ。T君はやがて何もなかったような顔で、教室に戻って来た。私は安心し、大いに反省した。

トイレに行きたいことすら言えなくしてしまったのは私である。教師主導で子どもの気持ちを考えなかった私の責任である。

もう一つ大いに反省したのは、Y先生をはじめ、先輩の教師に謙虚に学ぼうとしなかったことである。もし謙虚に学ぶ姿勢があったならば、独りよがりの考えで勝手に適切な指導をしていると過信することはなかったはずで、T君のような出来事を私は起こさなかったと思う。子どもを伸ばす教師が子供を委縮させるのではどうしようもない。担任する子どもたちのために、私は変わることを決断した。私が目指す教師像も変わった。子どもの気持ちを大事にする教師を目指す決意をした。

Y先生の姿に学ぼうと思った。

着任当初、私が考えていた目指す教師像は、職員会議や研修会議で格好のいいことを流暢に話す力のある教師である。Y先生は、会議ではほとんど発言することはなく、目立たないため、力のない教師だと私は思っていた。ところが、T君の紹介でわかるように子供の気持ちを大事にする力のある教師だった。私は、これからは、Y先生の姿から積極的に学び、わからないことは謙虚に聴こうと思った。

Y先生は、私が質問すると、「こうしなさい」と断定的、命令的な指導をしなかった。今まで、Y先生が子どもや保護者とのかかわりで体験した豊富な実践例を話して、そのことを参考にして、私が実態に合わせて解決できるようにしてくれた。いつも解決のために、Y先生の豊富な実践例は適切で有効だった。

この報告とお礼をY先生に話すと、私の努力や工夫だけをほめてくれ、自分の手柄にはしなかった。私の学級は、仲がよく、積極的に勉強するようになっていった。私は自分も

いつかY先生のような先輩教師になりたいと思った。

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