【 奨 励 賞 】

【テーマ:仕事を通じて、こんな夢をかなえたい】
働けること=私の生き甲斐
福井県 廣 瀬 支 保 33歳

私は、大学を卒業して、すぐに勤め出した仕事場で過度な嫌がらせを受けた。

全ての人間が信用出来なくなり、自分がこの世で生きる資格はないとしか思えなくなり、精神病を 患った。生きる希望を失くした私がとった行動は、自傷行為、自殺未遂の繰り返しだった。仕事を辞めて 10年余り、入退院の繰り返しだった。その間に、自殺行為を図ろうとして、打ちどころが悪く、左下肢 マヒになり、私は精神、身体の重複障害者となった。年月が経つと同時に少しずつ心が落ちつき始めた 頃、私をいつも心配して世話をしてくれていた祖母が、ある日、転倒し入院してしまった。退院してき た祖母は、手も足も硬直し寝たきりになってしまっていた。私は、自分が苦しかった時に必死に笑顔を 絶やさず私の事を励ましてくれた祖母に恩返しがしたいと思い、入所出来る施設が見つかるまで在宅介 護を手伝った。その時に助かったことは、自分の入院生活で、こうしてもらったら楽な姿勢だった。お むつの交換も、看護師さんが、このようにしてくれて助かったな。と自分が入院していた時に、してもらった介護、サポート全般が祖母の介護で活かすことが出来た時、自分の10年余りの入院生活は決して 無駄な時間ではなかった。私もまだ人に役立てる事が出来るのだと認識出来た。自分も足が動かず片足 で、母と祖母の体勢を変えたり、食事介助をしたり、おむつ交換・着替えを助けることにより、もっと 祖母に負担のかからない介助をしてあげたいと思った私は、人が大の苦手だったが、色んな介護に関す る講演会に足を運び、色々な知識を得て実行出来た。ある時、祖母が私にこう告げた。

「支保ちゃん本当にありがとう。おばあちゃんとても助かってるよ。でも、支保ちゃんはまだ若い。こ んな私の世話なんかしていないで、自分のやりたい事を見つけて幸せな人生を送りなさい。」と。

私は、その時は自分がもう一度、社会で復帰するなんて無理だと思い込んでいた。でもその時、夢を 持つことは出来ていた。

「私は、自分が苦しんだ人生。そして、寝たきりで苦しむ祖母の人生。人生で苦しんだ心と苦しんで いる人の心の両方の心理を分かってあげられるのは私だ。これからは、この体験を機に、生きることに 苦しんでいる人達の心の声を聞いてあげられる仕事に就きたい」。と。

そして今、私は再び社会に出ることが出来た。就労継続支援b型からのスタートだ。仕事内容は、百 均などで売られている物の検品や梱包。また、ニッパを使い細かい部分をきれいに切る仕事など様々な 仕事をしている。同じ職場には、知的、身体、精神と色々な障害を持った方がいる。スタッフの方が一 人一人の能力、身体の動かせる具合に適した仕事を見つけてくれる。朝から夕まで7時間、皆真面目に 黙々と自分に任された仕事をこなしていく。無駄口一つも話さずに。

皆、それぞれに大変なハンデを持ちながらも、そのハンデを理由に仕事が出来ないという言葉を口に する人は一人もいない。自分の障害に応じてどうすれば、やり易くなるかを皆一人一人が考えながら工 夫して仕事をこなしている。そして、障害がある人同士で助け合いながら仕事の効率を上げている。私 も、そんな仲間と一緒に仕事を出来て、とても幸せだ。給料といっても、本当に一カ月のお小遣いほど にしかすぎない。しかし誰も文句は言わない。皆、人生で苦労してきたからこそお金よりも、どんなハ ンデがあっても、働ける環境、仕事があることが、どんだけ幸せなことかをよく分かっている人達ばか りだから。皆、イキイキした顔で一日の仕事をこなしている。素敵な職場であり、大切な仲間といられ る今の私は人生で一番の幸せ者だと思う。

目標は、就労b型、a型と進み、心理カウンセラーの資格を取り、この世で苦しんでいる方達に生き る希望の光を導いてあげたい。

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