【 奨 励 賞 】

【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
私の知らない “2%の自分”
東京都 ご ま 26歳

「 “これが自分” だと思ってきた98%があっても、実は残りの2%に、自分のリアルがあるかもしれな い」。かつて就活中に、大学の恩師に言われた言葉だ。その時はピンと来なかったこの言葉を、社会人に なった今噛み締めている。

大学卒業後、就職を機に上京して約3年が経った。第一志望の会社で、憧れていたライター職での採 用。胸を膨らませて社会人としてのスタートを切った。しかし実際は、多忙を極める業界柄、デスク業 務に忙殺されながら、合間を縫って取材・執筆する日々。自らを奮い立たせながら、気付けば2年の月 日が流れていた。

「何かがおかしい」とは薄々気付いていた。学生時代、ずっと文章を書くことが好きだったはずなの に、仕事上の執筆では、何をどう書いたらいいのか分からない。スキル不足ももちろんあれど、それ以 前に全く集中できない。締切直前でやっとスイッチが入り、火事場の馬鹿力ばりの集中力で無理やり完 成させる。そんなことの繰り返しだった。

その原因を「私は生粋の怠け者なんだ」と思い込み、たびたび自己嫌悪に陥っていた。しかし、思わぬ事態を機に、謎が解ける時が来た。原稿の締切が連日重なり、睡眠不足やストレスが蓄積していた頃 のこと。とうとうある日、オフィスでパソコン作業をしていた最中に、急に全身が鉛のように重くなっ た。キーボードを押すための指の力さえ入らない。結果から言うと、自律神経失調症になったのだった。布団から起き上がる気力も無くなり、ひとまず1ヶ月の休職を決意。ただ苦しいだけの日々のやりくり に、体は素直に悲鳴を上げていた。

無事復職したものの、朝なかなか起き上がれない日々が続いた。そんな時に偶然、ADHD(発達障害)について取り上げているテレビ番組を見て驚いた。「これ、誰でもそうなんじゃなかったの?」と疑 うような、私にとっては “当たり前” の数々が、ADHDの特徴として取り上げられていたからだ。後日、専門の病院で診断を受けると、軽度ではあるが、注意欠陥優勢型のADHDであるらしいと分かった。

これまでの人生の全てに合点がいった。まさか自分が発達障害だなんて、とショックを受けた以上に、 心の底からホッとした。「なんだ、私、怠け者だからじゃなかったんだ」と。どれほど自分を責めてきた か。どれほど自分を嫌ってきたか。自分のことを勘違いしてきてごめんね、と思えた。体調を崩したの も、自分がADHDだと知らずに過ごしてきたことによる"二次災害"だったのだ。

興味のあることには過集中できるが、興味のないものには集中できず、とことん先延ばしにしてしま う。私の場合、文章を書くことが好きだったのは、自分が興味のあることを自由に書いていられたから。仕事上の執筆が辛くてしょうがなかったのは、全く興味を持てない対象を扱っていたからだった。向い ていると思って選んだ職だったが、得意だと思っていたことは、同時に苦手なことでもあったのだ。

自分の取り扱い方が分からない状態で、潜在的な “生きづらさ” に麻痺しながら、根性で埋め合わせ ながら生きてきた25年間。よくやってきたな、と我ながら思う。興味の有無で集中力が極端に左右されることは、場面によっては弱点ではあるが、生かせる道にはまれば強い武器にもなる。

私には、この生まれ持った傾向が、人生にとって最大のプレゼントであるように思えてならない。実 は、私にはもう1つ夢があったからだ。それは、イラストレーターになること。もちろん容易い道では ない。才能なんてあるか分からない。しかし、絵を描いている時だけは夢中になれる自分を知っていた からこそ、改めて覚悟がついたのだ。この自分を無理に変えようとするのではなく、ありのままの自分 でいられる仕事で生きていこうと。まだ私も知らない “2%の自分” に、きっと出会えると信じて。

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