【佳作】

【テーマ:仕事を通じて、こんな夢をかなえたい】
夢の翼を折らないために
兵庫県 宮 永 幸 則 31歳

祖父母が農園を営んでいた影響で幼い頃から農業に関ってきた私は、15歳で親元を離れて全寮制の農 業高校に進学、さらに国立大学農学部に進学した。卒業後は、地元・兵庫県の農協で営農指導員として 勤務し、27歳の時に脱サラ・新規就農することとなった。

農業の世界では「長年の経験と勘が大事」だとされている。いま思えば、「12年間学んできた経験が あれば、必ず成功するだろう。熟練した師匠も周りにいる」とたかをくくっていたことが失敗の始まり だった。私は役所から紹介された農地で、なすやピーマンなどの露地野菜、黒豆などの生産をスタート した。いずれも「単位面積あたりの収益が良いので稼げる」と言われ、「農業従事者の高齢化が進んでい るので、若手が参入すればすぐにシェアをとれる」と言われている品目だった。私は期待に胸をふくら ませて、朝から晩まで畑で汗を流す日々が続いた。

ふたを開けてみれば、初年度および2年目の純利益は100万円にも満たなかった事に絶望感を感じた。>私の師匠は、手とり足とり教えてくれるタイプではなく「汗水流して体で覚えろ」という職人気質の人 であり、初年度は天候不良に加えて、想定していた生産量を確保することが出来ず、品質低下を招いたことにより市場価格の半分程度で買い叩かれてしまう経験をした。「良品は全量固定価格で買取」という 契約を結んでいたが、契約数量の半分程度しか収穫できず、違約金を支払うこととなってしまったから だ。「取らぬ狸の皮算用」とは、このことである。

私はその時に、ただ体を動かしてがむしゃらに働くだけではなく、広い視点で頭を使って働かないと 成功をつかめない事について痛感することとなった。生産に重点を置くあまり経営に関する知識が乏し く、地域農業をとりまく市場動向についても配慮が出来ていなかったのだ。「単位収益が良いので稼げ る」と言われている品目であっても、日照時間が少なく気温が低い山あいの地域性であるため、水はけ も悪く、露地栽培には適していない地域だった。また、獣害によってベテラン農家が撤退している現状 があり、そのあとの耕作放棄地を新規就農者に斡旋していることもわかった。いま振り返れば事前に綿 密なリサーチをしていれば対策を講じることも出来たのだった。

田舎暮らしにあこがれて会社を辞め、田舎に移住してくる人は年々増えている。大きな希望と多額の 整備投資をして農業を開始し、次第にうまくいかなくなり、多額の借金をして精神を病んでしまい3年 前後で挫折して都会に帰っていく若者を何人も見てきた。共通しているのは「夢や情熱があるがロジッ クがない」という点だった。そして、私も3年目にはそのジレンマを抱えることとなった。

「夢の翼を折らないために、何をするべきだろう」と考えた私は、就農3年目に農業に従事する傍ら、 週末に社会人大学院に通ってマーケティングを専攻し、MBA(経営管理修士)を取得した。地域に合っ た農産物を見極め、人口動態や商流などを調査し、どんな品目をどの消費地へ出荷すればよいのかとい うフローチャートを作成した。それをもとに年間生産計画に落とし込んでいった。近隣農家に対しても 経営指導を実施し、有機農業や減農薬栽培による差別化や、共同集荷体制などを産地をあげて取り組ん だ。これにより廃棄率は格段に減少し、経営の合理化を図ることで収益性は倍増することとなり、ベテ ラン農家が腰を抜かす変化を遂げつつある。5年目となる今年は、将来に希望が持てる数字を達成でき る見込みだ。

私いま、農業を傍らで確かな情報や数字に基づいて農業に取り組んでいくためのサポートをしている。農業を志す若者たちの夢を折ってしまわないため、私に出来る支援を続けていく考えだ。農業を「ビジ ネスイノベーション」として捉えることで、強い農業経営の基盤を作ることでわが国の農業に貢献して いきたい。

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