【 公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞 】

【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
仕事の糧
島根電工グループ 岡田電工 山 本 大二郎 24歳

働き始めて一年が経ちました。社会人の厳しさ、お金を稼ぐことや自立して生活することの大変さを経験するとともに、母の偉大さに気付きました。

私は幼い頃に父を亡くし、母に育ててもらいました。三人兄弟でしたので、金銭的にも体力的にも今思えばとても大変だったと思います。兄弟の中でも私は反抗期が長く、家族とほとんど話さないという時期がありました。連絡せず外出することや門限を守らないことも多々ありました。また、友人と遊ぶ 時に月のお小遣いでは足りず、足りない分を追加でもらうこともよくありました。「母が大変な思いをしているだろうな」となんとなく感じていましたが、母の弱音を聞いたことがなく、特に何も考えず不自由なく過ごしてきました。

社会人になった時、母から「貯金はしておきなさいよ」とアドバイスをもらいました。その時は「アルバイトよりは収入が上がるし大丈夫だろう」と考えていました。しかし、給料をいただき生活していくと、携帯代、保険、車の維持費など考えていた以上に多くの出費がありました。「今月こそは貯金をしよう」と思っていても、「遊びたい」という気持ちが勝ってしまいました。こんな生活を続けているうちに車検がきて、大金が必要になりましたが、当然貯金が無く、とても苦しい思いをしました。何度も母に助けを求めようかと思いましたが、社会人になっても母のアドバイスを守れていない自分を知られるのが嫌で、次の給料日まで出費を控え、何とか生活しました。自分一人だけの生活費でもこんなに大変 なのに、兄弟三人を育てた母はすごいとこの時実感しました。そして、今思い返してみると、母が母自身の為に何か贅沢をしていたという記憶が私にはありませんでした。

ある日、母と二人で話す機会があり、『父が亡くなってから私達をちゃんと育てていけるか不安だったこと』『子供には不自由をさせたくないという思いから、毎日一生懸命仕事をしていたこと』『何かあった時の為に貯金をしていたこと』といった思いを知ることができました。そして「弟も就職したし、やっと自分の好きな事ができる」と笑いながら話しました。この話を聞いた時、今まで無償の愛を注ぎ続けてくれた母に感謝の思いでいっぱいになり、私は涙を流してしまいました。この一年、仕事を通じてお金を稼ぐことの大変さを学び、改めて母の苦労は計り知れないものだったと思いました。

仕事をしてお金を稼いで生活をしていくことも働く意味として大事だと思いますが、それだけではなく、何か困難があった時に乗り越えられる糧となるものを自分の中に見つけておくことも大切です。今の私の糧となるのは、成長した姿を母や上司に見せたいという思いです。母には今まで育ててもらい、上司には一人前の社会人になるために育てていただいています。母や上司への感謝の思いを忘れず、少しでも早く成長した姿をみせたいと思っています。また、私に家族ができたときに母がしてくれたように 私も無償の愛を注いでいきたいです。

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