【佳作】

【テーマ:さまざまな働き方をめぐる、わたしの提言】
一度しかない一生を
栃木県 野 尻 敏 夫 82歳

敗戦直後に母子家庭となった私は中学しか出ておらず、社内での出世は二の次にして、同じ仕事をす るなら楽しく給料をいただこうと腹を決めていました。

地元では衰退が予想された蒔絵に見切りをつけ、サラリーマンに転職して通信士になると、商取引や 訃報など一刻も速く電文を届けることに、営業畑に携わってからはより良いサービスの提供に喜びを見 いだしていたのは勿論です。

ですが、しばらくすると何か物足りなさを覚えて、楽しいことが眠っているのではと、いつもプラス アルファを狙っていました。

スタートは、職場に絵画クラブを立ち上げたり同人雑誌を発行するなど、己の好みにそった社員の文 化活動の展開でした。

転勤が始まると、勤務時間外も勤務地の地域住民との交流に心掛け、囲碁や小宴、小旅行などを楽し みました。

次第に楽しみ方がエスカレートして、社内の取り決めや習わしを破っても自社や社会のためになる活 動へと足を踏み入れました。

「私が責任をとりますから......」

などと生意気な口をたたきながら、楽しさをふくらませたものです。

最たる施策は実質的な利益の無い、ショーウインドーの社外への開放でした。視覚・聴覚・身体・精 神など様々な障害を持つ生徒が学ぶ養護学校数校の創作品を、二階まで通しの巨大なショーウインドー に順次展示していただきました。マスコミの協力も嬉しかったです。

会社のイメージアップにもなりましたが、絵画・書道・工作品など生徒の豊かな創造力を世間にアピー ルできたようで、すこぶる好評でした。毎日楽しかったです。

私が住んでいる街にも、成長した彼らが養護施設などで製造した菓子や、生産した野菜などを料理し て提供する食堂などがあります。サラリーマンや観光客に喜んでもらおうと真剣に働いている姿に、

「五体満足な俺が何をぐずぐずしてるんだ」

と、何度も気づかされました。

持ち合わせている能力を人々のお役に立てて、己の暮らしを維持していくのが働くということでしょ うが、少しでも能力を伸ばし、創造力を働かせて世間を豊かにする役目も担っていると思います。

自分の働く力を向上させることは心地いいもの、アイデアを駆使して創意を展開するのは実に楽しい ものですね。成果を伴ったら、こんなに嬉しいことはありません。

「好きなことで食べていけたら......」

と、よく言われますが、関心が薄かった営業部門でも販売や使用料督促回収、PRなど、自分なりに創 意工夫をこらして楽しんでいました。どんな仕事でも働き方しだいで幸せに暮らせるものだと思います。

私の住む街には山本有三氏の『路傍の石』の一節が刻まれた石碑が、駅前をはじめ学校などに20基ほ ど建ててあります。

『たった一度しかない一生をほんとうに生かさなかったら、人間、うまれてきたかいがないじゃないか』

たとえ窮地に追い込まれたとしても、命を捨てるなどもってのほか。能力が乏しくとも心身に障害が あろうとも、それらも個性として己を世の中に活かして楽しみをふくらませていきたいものです。

一度しかない人生をどのように生かしていくかは、大きく働き方にかかっています。ささやかでも人 のためにも生きてこられたと、喜びをかみしめながら逝きたいですね。

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