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【テーマ:さまざまな働き方をめぐる、わたしの提言】
私にとって働くということ、その働き方
東京 増 田 允 41歳

人間にとって、本当の意味において平等のものは何か。人種や性別、国籍、貧富、家族、外見、など 人間はそれぞれ違っており、まったく同一の人間は存在しないといえる。一方、すべての人間に平等の ものもある。それは、1日は24時間ということ。そして人間は不死ではなく、時間は有限であるという こと。どのような人間であっても、1日の時間の流れは平等で、寿命の長短はあれども、不死でない以 上人間の時間は有限であるということ。

「使命」という言葉は、まさに「命を使う」と書くが、私は、これは「時間を使う」と同じ意味であ ると考えている。「生きている」ということは、「命を使っている」「時間を使っている」と同意義であり、 人間が人間たるゆえんとは、「社会」を構成し、発展させていることだと思っている。つまり、人間とし て生きるということは、「社会の中で自分の命を使い、人間社会を発展させること」であり、それは「働 く」ということなのである。

豊かな生活のため、自己実現のため、家族のため、など人によって働く主目的は様々だと思うが、「働 く」ということの本質は、「人間として生きる」ということに他ならない。私は、人間として生きるため には「働く」必要があり、それが人間の本質であるならば、「働く」ことを考え得る限りで最も充実させ たいと考えている。

社会人になりたての時は、右も左もわからずに、とかく周りの先輩や上司の言われた仕事を受け身で やりがちであったが、経験を経て、「働く」意味を自分なりに整理できた現在では、何事も仕事を能動的 に考えられるようになってきたと感じる。自分の仕事を充実させるための自己研鑽も習慣化し今では何 の苦も無く、むしろ楽しく取組めているし、仕事に追われる忙しい毎日はむしろありがたくも感じてい る。一昔前のワーカーホリック症候のきらいもあるのかもしれないが、本来、仕事とはハードであれば あるほど楽しく、それが人間として人生の充実に繋がるものだと、実感している。

日本では、「ワークライフバランス」「働き方改革」など、日本人のこれまでの働き方、時間の使い方 について変革が必要だとの論調が喧しいが、少し論調がずれているように私は感じている。世間や会社 がこうした風潮に呼応し、勤務時間の短縮などの施策を導入し、限られた時間しか働けなくなってきて いる。確かに生産性の向上は避けて通れない道ではあるが、昨今の風潮では、「働く時間を少なくするこ と」が目的になってしまっている。猛烈に働き、わき目も振らずに自分の時間を仕事に投下し、真の意 味で充実した仕事を経験する機会を若者から奪ってしまっているようにも感じてしまう。

一方、働き方について多様性を認めるべきであり、「猛烈に働くこと」を強要してはならない、という 考え方にも私は同調している。人生観、仕事観は人それぞれであり、その違いを認めることも社会を構成・発展させるためには必要なことなのである。それでも、私は自分の働いている時間をより充実させ たいし、そのためには、もっと働きたいし、プライベートの時間を仕事に振り分けても構わないと思う。

これも多様性の一つとして、若い社会人にも受け入れられてもらえれば幸いな限りです。

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