【努力賞】
【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
おこりんぼう校長先生
大阪府  佐々木唯ディアス  32歳

「小さな地球という名の我が日本語学校へようこそ!」

私は、大阪にある日本語学校で働いている。51名、22カ国の学生が集う、まさに「小さな地球」の学校。そんな学校を支える「おこりんぼうな校長先生」のお話。

時間、礼儀、作法に厳しい顔とは反面、学生や職員をちゃんとみてくれていて、がんばる人には全力でサポートするという熱意のある心の優しい校長先生だ。奈良の田舎に住んでいて、毎日田植えをしてから1時間半もかけて出勤してくれる。毎週、庭で咲いている花を教室や玄関に生けて学校を彩ってくれる。

そんな校長先生が思い切り怒ることがある。その怒りの陰にはいつも大きな愛が隠されていた。以前、東南アジアからの留学生の一人がいた。彼女は気性が荒く、私も手を焼いていた。宿題は紙ヒコーキに折って提出、人のいないところで私に怒号を浴びせる、物を投げつける、私は学校の職員という立場からいつも我慢して話を聞いていた。しかし、私の精神は完全にまいってしまい、とうとうカウンセラーに行くほど病んでしまった。堪り兼ねて校長先生に相談すると、すぐに彼女を呼び出した。

「うちの佐々木になんてことしてくれたんだ。ちゃんと謝りなさい!」

彼女の話を聞いた上で、まさかのこんな風に怒ってくれるとは思わなかった。学生とて、お客様。しかし、そのお客様が自分の職員にひどい態度をとるのを校長先生は決して許さないのだ。それを聞いた瞬間、私は本当に大切にされているのだと気付いた。お客様を大切にしすぎて、本当に大切にすべき職員をないがしろにはしていませんか。

「あなたの能力は高い、しかし一人で溜め込まないで小さなことでもみんなと共有して相談しなさい。

そのために私たちは一緒に働いているんだから。」そう言ってくれた。組織で働くということは、できないことは補い合い、できることは何倍にも広げていけるチームなんだと教えてくれた。

そして、昨年私は産休に入った。11月には新米を届けてくれ、娘を連れて職員室を訪れると、まるで家族のように迎え入れてくれた。17歳で父を亡くした私にとって、校長先生は父のような存在だった。

今年の4月に復帰した私は、また校長先生がおこりんぼうになるのを目の当たりにした。ある営業の会社が広告を出さないかという電話をかけてきた。広報を担当していた私はアポイントを取った。するとその営業さんは「オーナーさんだしてください」の一点張り。「広報は私の担当でオーナーにも確認をとりました。よろしくお願いいたします。」それでも電話口では「オーナーさんにかわってください」を繰り返す。しぶしぶ私は校長先生に電話をかわった。すると、「うちでは広報ことは全て佐々木に一任しています。彼女はただの電話番ではありません!彼女を無視するようなことは許しません!」そう言って電話を切った。そして颯爽と出て行き、学生たちの授業見学へ向かった。営業の方には申し訳ないが、私は嬉しかった。産休で1年近くブランクのある私は毎日必死で働いていた。それをちゃんと見てくれて尊重してくれていたのが伝わってきた。校長先生はおこりんぼう。でもその怒りが発動するのは大切にしている人を守るため。私は現在、9ヶ月の新米ママである。娘を叱る時は、いつも校長先生のことを思い出す。家族は一番小さな組織の始まり。そこで怒ることがあっても愛を持ってこのチームを守っていこう。

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