【努力賞】
【テーマ:さまざまな働き方をめぐる、わたしの提言】
精神障害をもった私の働き方
東京都  佐藤彩乃  28歳

私がうつ病と診断されたのは八年前、大学三年生のときだ。直接的な原因は分からないが、おそらくいろいろなストレスが重なったのだろう。例えようのない胸の苦しさを覚えたのは初診の数か月前のことだったが、当時の私にはうつ病という概念がなかった。まして自分が精神を病むなどということは考えたこともなかった。しかし、それは突如として私の身にふりかかった。私の頭は「苦しい」以外のことを考えられなくなり、抗うつ薬を飲みつつ部屋で寝て過ごした。このとき一番怖かったのは「この先ずっと治らなかったらどうしよう」である。私にはいろいろな夢があった。その中でも海外で働いてみたいという夢は捨てがたかった。

うつ病の恐ろしいところは「繰り返す」というところだ。初めて薬を飲み始めてから一か月あまり、徐々に動けるようになり、外に出られるくらいまで回復した。だが、治ったと喜んだ数カ月後、また同じ苦しさに襲われた。以後これの繰り返しとなる。しかし、私は夢を捨てられなかった。この先うつ病でやりたいことができなくなるなんて嫌だ、病気に負けたくない、自分はそんなに弱い人間じゃない、と言いきかせ、卒業後、半年間の治療を経て中国へと旅立った。

中国には計二年間滞在した。始めは日本語学校の正規職員として働いていたが、ほどなくあの苦しさに襲われた。あの苦しさの恐ろしいところは何も考えられなくなりさらに動けなくなることだ。友達に「メールの一本も送れない苦しさは理解できない」と言われたが、メールの一本も出せないくらい苦しいのだ。私は急用で日本に一時帰国すると嘘をつき仕事を休んだ。部屋の中に閉じこもり、海外まで来て何してるんだろうと思いながら横たわっていた。回復してからまた働き始めたが、体調に波があったため、結局はアルバイト雇用という形にしてもらい負担を減らしてもらった。

日本に戻ってからも、アルバイトを始めてほどなくしてうつ病を再発して辞めるという繰り返しだった。そのたびに多くの人に迷惑をかけることとなったが、この負のスパイラルから中々抜け出すことができなかった。私の問題点は自分の病気を自分で認められなかったことにあると今では思う。うつ病である自分を認めること=弱い自分を認めることだと思い、怖かった。また人に自分の病気のことを知られるのも怖かったし、恥ずかしかった。知られたら就職できなくなる、結婚できなくなるとどこかで感じていたんだと思う。しかし、去年うつ病生活七年目を迎えて、ようやく、ある種の諦めのようなものが出てきた。自分は病気なんだ、自分は一人の弱い人間なんだと思ったとき、気持ちが楽になっただけでなく、自分が今まで精神疾患を持った人に対して弱い人間だというレッテルを貼っていたことに気がついた。恥ずべきことはうつ病になった自分自身ではなく、精神を患っている人に対する差別心を持った自分自身だった。

私は今精神障害者保健福祉手帳を持っている。アルバイトをしつつ、やはり病気の治療をしている。

バリバリ働けないことを悔しいと思う時もないではないが、うつ病になったことで優しくなれた自分がいると思う。今こういう働きかたしかできない自分を認めて欲しいし、自分でも認めてあげたい。

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