【努力賞】
【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
本当に目指すべき理想を見つける
青森県  遠藤夏子  22歳

私が自信を失くしたのは、高校2年の時だった。病気にかかり、中学からお世話になっていた女子校から、通信制高校に転入した。それまで特別進学クラスでもトップの成績を維持してきたし、模試での全国偏差値は70を超えていた。それが転校後、全国平均以下まで落ちた。勉強を頑張ればどうにかなることを分かっていなかったわけではなかった。しかし、この私が通信制に行くなんて。その時点で完全に意欲を失っていたプライドの高い私は、頑張ることさえ諦めていた。

その後、自宅療養しながら通える大学に絞って受験したところ、1つの大学からAO入試で合格をもらったので、なんとなくそこに進学した。地元で評判の大学に入れたが、私のプライドはそれでは納得しないくらい高かった。私はこんな大学で収まるはずじゃなかった。高校時代、私ほど辛い思いもせず、高い偏差値も出さなかっただろうこの大学の人達なんかに、私が負けるものか。私の方が人間として上だ。本気でそう思い込んでいた。サークルに入っても、同輩の一挙手一投足が全て間違いに見えた。全てにいらついていた。声をかけてくれる人間さえうっとおしくて、学内での人間関係が苦痛で仕方なく、私は1年ちょっとでサークルをやめた。そうして暇ができた私は、軽い気持ちで学習塾の講師のアルバイトに応募した。中学の頃の学習内容はしっかり頭に入っていたから、自分に向いてそうだったし、何より時給が高かった。

最初は、学校の他にわざわざ塾に通うような生徒は、皆学年トップを目指したり、トップ校を志望したりするものだと思っていた。しかし、個別指導を行うその塾には、様々な生徒が通っていた。いじめを受けていて学校に通えない子や、親が忙しくて夜遅くの授業ではないと送り迎えをしてもらえない子、部活に青春の全てを捧げている子。それでも皆、それぞれの目標の達成を目指し、必死に自分を磨いている。私は、目標は他人の手には届かないくらい高いものを達成して、初めて価値があると思っていた。

しかし、あの高校に行きたい、あの職業に就きたいと目を輝かせている生徒たちを見て、私はこんなことを考えたことがあったか、無かったのではないかと思い、胸が痛かった。

人間の価値は、相対的な偏差値なんかで決まるものじゃないと、ようやく分かった。自分の人生を自分の力で、絶対的に幸せなものにできるかどうかで決まるのだと思う。もちろん、高校時代の偏差値が高ければ、ありとあらゆる方面で力を発揮するポテンシャルがあるだろう。でも、根本的な問題は、自分が望む未来へ進めるかどうかだ。私が高校2年まで望んでいた未来は、いい数字を取り続けて褒められることだったように思う。その向こう側で何がしたいのか、全く考えていなかった。

バイトを始めて2年目に初めて受け持った高校受験生達が、無事に第1志望校に合格して塾を巣立って行った後、私は大学を休学した。偏差値なんかでランクをつけず、自分に合った、自分の目指す未来に1番近い進路を、もう1度探すことにしたのだ。勉強は、行きたい方へ行くための手段。行きたい方向がどこなのかは、すぐには分からないけれど、真剣に考えていく必要はある。それは、自分の価値を高めていくための実りある時間だから、今と未来を大切に、じっくり自分と向き合って行こうと思う。

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