【佳作】

【テーマ:さまざまな働き方をめぐる、わたしの提言】
はじめの一歩
山形県  サトウアツコ  31歳

みんな最初から病気だったわけじゃない。

様々な環境で暮らしてきた者同士、様々な病気を抱えながら共同生活を送る。田んぼの中にあるグループホームで、叔母が暮らす。

美容師の私は、叔母の髪を切りに来た。持参した新聞紙を、叔母の部屋に広げて椅子を置く。なかなか会えない家族に渡してほしいと、手紙とプレゼントを受けとる。就労支援で働いたお金を家族に使う叔母は、心の病気で薬を飲みながら、心を安定させて働く。精神安定剤の副作用なのか、手に震えがあり、クリーニング業務の作業所でアイロンをかけていると思うと、ケガをしないかと心配になる。働くようになって、心は落ちついてきたが、家族を困らせることばかりしてきたので、みんな叔母と距離を置いていた。

叔母の担当だった医師が、精神疾患のある親だと子供も精神疾患になっていないかと言うから驚きだ。病気が病気を作ると思いたくなかったし、そうならないように気を張って過ごした。何事もなく、叔母の子供達は成人し働いている。叔母は子供達に負けていられないと言いながら、落ちこんでいた。

髪の毛を切っていると、自分はダメだと言いだして、どうしたの?と、聞く。作業所で手慣れたアイロン作業から外されてしまい、新しい仕事を与えてもらったのに泣いてしまった。期待をかけてくれたのに、周りに心配をかけちゃったと反省する。叔母は、前よりも成長している。自ら反省するようになった。

私は、叔母を奮い立たせる言葉をかける。

新しい仕事を覚えてほしいってことは、それほど頼りにされているってことでしょ?仕事もここでの生活も、声をかけてくれる人がいるって幸せなことだから、落ち込まないの。

叔母の前髪を整える。私は、笑ってみせた。

叔母は、私のことを太陽だと言う。そんなことないよと笑いあう。今、こうして穏やかな叔母の表情をみるのは何年ぶりだろうか。

心通う日が来るなんて思ってもいなかった。

家族と分かりあえなくて、悩みながらも自分の居場所を求め、はじめの一歩を踏みだした日。病院を退院した叔母と一緒に並んで歩く。心の状態は変わらず、子供達の幸せなんて考えていなかった。パンを食べたいと言う叔母に、私の母が両手に沢山のパンと惣菜を持って来るが、お昼を過ぎても食べない。胸がいっぱいで食べれなかったと涙する叔母。

家族にとって疎ましい存在ではなく、自分は愛されていたんだと気づくまで、長い道のりだった。叔母の病気と向きあいながら、自宅で曾祖母の寝たきり介護をする私。叔母の子供達と過ごすことで、大人になっても様々なことにチャレンジする心を持つことができた。一つのことをやり遂げることしかできないと思っていたが、切羽詰まった方が私は仕事にも精がでる。社会で傷つき挫折しても、自分の存在を否定しないでほしい。病気と向きあい懸命に働く叔母が、どんな作業にも意味がある!自分が欠けると、クリーニング業務がストップしてしまうから、感謝して働かなくちゃ!と、瞳の奥を輝かせる。心の傷は目に触れることはないけれど、心で触れあうことはできると思った。

鏡に映る叔母の顔は、スッキリしている。

髪の毛を切ってくれてありがとう!姪っ子が会いに来てくれるから、幸せだと言う叔母。

沢山ぶつかりあってしまったが、アクションを起こさなければ、何も変えることはできなかった。

玄関先まで見送る叔母に、私も手を振る。

また来るね、身体に気をつけてね!心も身体も健康でなければ働けない。

私達は、病気のおかげで心を労わって働く働き方をみつけることができた。

はじめの一歩を踏みだし、自分の弱さと向きあって働く人は、弱くない。

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