【佳作】

【テーマ:さまざまな働き方をめぐる、わたしの提言】
大学院生、鍛冶屋になる
大阪府  Y.O  26歳

私は「ゆとり」と呼ばれ、大学崩壊やレジャーランド化が叫ばれる大学全入時代において就職氷河期を経験してきた世代の一人である。戦時中のひもじさも知らなければ、生き方や働き方に抑圧された経験もない。ある人は「豊かな社会に生まれた恵まれた世代」と評し、他方では「いい大学を出たらいい会社に入れる」というかつての慣習が通用しない現代人を「可哀そう」という。

しかし、そうしたゆとり世代の中には、今までの価値観とは異なる新たな発想で社会に革新を起こしている人達がいる。学生起業という言葉もすっかり市民権を得て、パラレルキャリアのように複数の仕事(あるいは肩書)をもつ働き方も多くなった。時代の変化に伴い「何が幸せか」という価値観の変容とも相まって雇用形態は多様化してきているといえる。しかしながら、そのような働き方は未だ少数派で一般的ではないだろう。かくいう私も、つい数年前までは「一般的」な道を歩んできた平凡な学生であった。小中高と地元の公立校に通い、大学は当時の自分にしては少し背伸びしてしまったおかげで受験勉強は大変だったが、苦労した甲斐あって志望校に合格することが出来た。学業も程々に、サークル活動とアルバイトに明け暮れ、大学生活は「人生の夏休み」とまで堕落してはいないが、何かに一生懸命であったわけでもない。将来したいこともわからないまま、周囲に合わせて就職活動を始め、手あたり次第にエントリーしては会社説明会と選考の日程でスケジュールは瞬く間に埋まっていった。しかし、就職活動中も人生を決める選択をしているというよりは、どこか他人事で早く終わりたいという感覚の方が強かった。こうした思いも多くの就活生と同様な「一般的」なものではないだろうか。こうして面接やグループワークをこなしていくうちに作業として就職活動のノウハウは蓄積されていき、複数の企業から内定をいただくことができた。しかし、約40年もの長い時間をこの会社で過ごすと思うと急に不安になった。私の場合、この時ようやく将来の選択を自分事として考え始めたのである。すでに4回生の夏を過ぎた頃だった。

結果として、私はこの時自分の中で答えを出すことが出来ず、大学院への進学を決心した。それまでと打って変わって、現実から目を背けるように勉強に没頭した。私は地場産業の振興政策を主な研究テーマとしていたため、実際に働く現場に赴くことも多かった。その中で触れ合う職人たちの働く姿は、仕事というよりも生き方そのもののように感じられた。キツイ・キタナイ・キケンのいわゆる3Kが揃った彼らの雇用環境は、条件的に見ればまさに「ブラック」である。しかし、顔を真っ黒に汚しながら汗水流し働く姿に言い知れぬ気概を感じ、彼らの自身の仕事に対するこだわりを聞くと胸が熱くなった。仕事をする大人をかっこいいと感じたのは初めての経験だったかも知れない。就職先ではなく、研究対象としてみていた職人業への憧れが私の中で徐々に高まり、そして気づけば弟子入りを志願していた。

当然のことながら「今の時代に鍛冶屋?大学院までいったのに勿体ない」というのが世間の一般的な見方であり、条件だけで見ればもっと良い仕事はあったのかも知れない。しかし、卒業後の進路を「とりあえず」確保した友人の多くが転職していく状況をみると、一概に「一般的」な在り方が良かったとは思えない。どちらの選択が正解なのかはわからないが、ただひとつ言えることは周りの声や社会の通説はいざという時に自分を守ってはくれないということだ。「一般的」から外れるということは世間の風当たりも強く、自由である分責任が伴う。しかし、自分の考えをもつこと、そして常に巡らせておくことを忘れなければ必ず道は拓ける。私の言葉や生き方で、働き方が多様化する現代をポジティブに解釈し、自分の人生を歩む人の背中を少しでも押すことができれば幸いである。

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