【入選】

【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
先輩の言葉
千葉県  一日一善  35歳

『苦行と苦労が違うことを意識して働いたほうがいい』というのは、私の心に刻まれた先輩の言葉である。もっとも、先輩は大企業の正社員である一方、私は非正規の派遣社員であった。彼は同じ労働環境にいる人間は、みんな仲間であるという意識が強かったようだ。

派遣社員として化学メーカーの研究所で就労した頃、当時の先輩社員、研究員Aと出会った。私は一年間、研究員Aの研究補助業務を担当した。

「えーと、まずこれを一週間で身に付けてください」

補助役として研究員Aから最初に指示されたことは、実験で使用したビーカーやバイアル瓶の洗浄であった。危険な薬品は除去されている上、量も一週間どころか一時間で終了する量である。指示された当初、研究員Aは私に冗談を言っているのだろうと思っていた。先方は真面目だった。

「もし、一週間で身に付かなかったら二週間でもいいよ」

とまで言った。その口調はどこまでも落ち着いて、馬鹿にした様子は微塵もない。色々な疑念が湧いては消えた。ただし、これはパワハラでも何でもない。文句は飲み込んで取り敢えずやってみることにした。研究員Aは洗浄作業に関して何も言わなかった。ただ作業する私の様子を時折伺うばかりである。

もし、この時点で私が馬鹿の一つ覚えのように、猪突猛進で黙々と作業だけ行っていれば何も身に付けずに就業先を去っていただろう。私は他の研究補助員がどのように洗浄作業を行っているか注意深く観察することから始めた。幸いベテラン補助員のおばちゃんと研究員Bが同時に洗浄作業を行う場面を観察する機会があった。

ベテラン補助員のおばちゃんは家の食器を洗うように、ビーカーもバイアル瓶も全てスポンジに中性洗剤をつけてゴシゴシ力強く洗っていた。洗い終えると、乾燥機にどんどん入れていく。一見手慣れた様子で作業をやっているようだった。

研究員Bが洗浄する様子を見ると、同じように始まったが何かを非常に気にしていた。洗い終えた容器は洗浄槽の脇にあるアルコールで一度流し、最後は純水で全体を流し、窒素のエアガンで水を飛ばして天井灯に翳し乾燥機に入れた。

誰も居なくなってから乾燥機を開けて、ベテラン補助員のおばちゃんと研究員Bが洗浄したバイアル瓶を取り出して比較する。研究員Bの洗浄した瓶は透明さを保持している一方でもう一方は何かシミのようなものが析出しているようだ。

「合成した粒子は、一度瓶に付着すると取れにくいものです」

後ろから声をかけたのは研究員Aだった。私は手にしていたバイアル瓶を彼に渡す。彼はバイアル瓶を照明に翳して、一つため息をつくとそのままガラス廃棄物のゴミ箱の蓋を開けて入れてしまった。

「ああいう瓶で粒子を合成し、分析にかけてどういう結果になるか、君なら分かると思う」

休憩時間はきちんと取ってくださいと言い残して、研究員Aは研究室から出て行った。

その翌日、私は洗浄作業を行いながら不明点や判断に迷うことは躊躇せずに研究員Aへ相談した。酸性、アルカリ性、有機物、重金属、アルコール性等の中和処理も含めて一通り洗浄作業を身に付けた時には一週間が過ぎていた。

研究員Aは当初から私に洗浄作業のみやらせる腹はなかったようだ。ただ、洗浄作業が職業適性を図る一番の試金石と考えていたらしい。洗浄作業を一人でこなせるようになると、粒子の合成や抽出、簡易機器による作業を習得するようになった。労働環境、労働形態がどのように変化しようと、何事に関してもどういう「視点」で身に付けていくかが肝要だと教えてもらった。この「視点」がない労働は猪突猛進で進歩のない「苦行」であり「視点」のある労働は悩み苦しむ前後で、明確な変化のある「苦労」だと思う。

最近の世相を見て、雇用主、雇用者側とも「苦行」と「苦労」をごちゃ混ぜにしているように感じるのは私だけだろうか?

戻る