【努力賞】
【テーマ:さまざまな働き方をめぐる、わたしの提言】
さまざまな職の中から今、思うこと
兵庫県  米倉澄子  81歳

昭和29年、高校を卒業と同時に、大手の商社に就職、5年間働きながら青春を謳歌しました。

その後、結婚、二児をもうけ、子供の成長と共に、いろいろとアルバイトする事になる。

区役所の事務補助、小さな会社の事務、そして縁あって選挙事務所に雑用補助等々。

いろんな所で職を点々としてしながら、思いがけない所で自分の得意とする仕事にめぐり合うことになる。その時、年齢すでに50才になっていた。

選挙事務所でアルバイトしている時、たまたま、地方選挙中のこと。車に乗っていた、ウグイス嬢の方が昼食のため事務所に帰って来たのです。昼食をとっている間、選挙の車は事務所の前で停車したまま。

「こんな大事な時に車を止めたままでは、」と云う事で急遽私が車にのりこんでウグイスする事になったのです。

見よう見まねでウグイス嬢が云っている通りアナウンスしました。

なんとそれがなかなか素人と思えない、声が良く通り美しい声で聴きとり安いと評判になり、とうとう、うぐいす婆さんになってしましました。

それ以来、選挙の度に声がかかり、ベテランの「うぐいす婆さん」になりました。

こんなに老いてから、自分の得意とする職に気が付いて、これを本職にするには、もう年齢的に無理、後悔先に立たずです。

色々な所で様々な職種でアルバイトをした数年間、やっと自分に相応しい声を出す仕事、おしゃべりにめぐり会えた事は、それからの私の人生をすっかり変えてしまう事になったのです。

人前でお話しする事の出来なかった私が、あるきっかけで、子供の頃の戦争体験を話してほしいと学校から依頼がありました。

今までの私だったら、人前で話す事が出来ず、きっと断っていたと思うのですが、そこは、ウグイスの体験から、即座に引き受けたのです。

青天の霹靂。それから20数年。

今、私は、年間30数校の学校、または、他各国体等、戦争体験の依頼があり、喜んで語り部をしています。

只今、81才。最後の戦争体験者として、必死に語り継いでいます。

これが今の私の生き甲斐です。

遅ればせながら、私の活躍のきっかけを痛感している今日この頃です。

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