【 努力賞 】
【テーマ:仕事を通じて実現したい夢】
私の夢
山形県  武 田 知 華  20歳

私はいつの間にか「働くこと」と「夢」というのは全く別の事柄だと思うようになっていた。

小学生の頃の夢は、ケーキ屋さんやテレビに出る人、人を明るくする職業とかだったと思う。それが、中学3年生になり高校受験を考えていた時には、すでに将来の夢というものは頭になかった。大きなきかっけがあったわけではないが、成長していくと今まで見えなかったこと、分からなかったことが理解できるようになる。心が大人に近づいていくたびに「夢」というものは「実現できないもの」という認識になっていた。

 私のこの感覚が生まれるきっかけになった大きな出来事は小学2年生もしくは3年生だった時のことだ。父の勤めていた会社が倒産した。倒産したというのは後から知った。当時の私は、会社というモノの仕組みがよくわからなかったし、父はすぐに自営業に切り替え働いていたため、仕事がなくなったというのは知らなかった。しかし、父は帰りが遅くなり、家に帰れない日も増えた。母が昼はパート、夜はアルバイトを始めたからだ。私は夜祖父母の家に預けられるようになった。家族3人で生きていくために必死に働く両親の姿を見ていたためか、「働くこと」と「夢」は別物だと認識したのかもしれない。

そして今、大学3年になり、就職という言葉が現実に近づいている最近では「夢」についてよく考えている。前にも述べた通り私には「夢」は「実現しないもの」という風に決めつけていた。しかし、大学に入学してから同じ学科に通う仲間や小中高校で出来た友達から将来の話を聞く機会が多かった。そこからは将来を見据えたそれぞれの目標の話をたくさん聞いた。あの時は特に何とも思わなかったのだが、今私は焦っている。私には「夢」がない。ここから先の未来、自分がどんな仕事につくのかが想像できないのだ。しかし、私も夢が全くないというわけではない。そうして私はふと思った。難しく考えすぎなのではないだろうか。「夢」は「働くこと」の先にあるものではないと決めつけているのではないか。仕事の先にあるものがすべて現実離れしている「夢」だとは限らない。叶えたいと想うからこそ「夢」なのではないか、と気づいたのだ。だとしたら、私にも「夢」がある。決して大きくはないが私が実現したと想うこと、それは、「家を買うこと」である。今まで20年生きてきて、私は「マイホーム」という言葉に夢を抱いている。何度もチャンスはあった。しかし、様々な要因に阻まれて、いまだに賃貸のアパートに家族3人で暮らしている。今の生活に文句があるわけではない。だからこそ、ひっそりと心に決めていたことなのだ。

私はこれから大学を卒業、企業に就職して、働くことだろう。それはただ自分のためだけに働くのではない。今まで育ててもらったお礼とこれからもよろしくお願いしますという想いを込めて。安心して暮らすことのできる家を両親にプレゼントするために。私の人生で一番大きな親孝行、「家を買うこと」。これが私の「夢」である。

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