【 努力賞 】
【テーマ:仕事を通じて実現したい夢】
食に感謝を
東京都  太 田 しゅう  18歳

牛刀を持つ手が震える。目の前にはヒヨコの頃から育ててきた鶏。立派なトサカがある私の自慢の鶏。そっと鶏の頸動脈に牛刀を当てる。鶏は覚悟を決めたかのようにジッとしている。私は牛刀に力を込め、思い切り引いた。

高校1年生の時、私は初めて鶏の屠畜・解体作業を行った。とても大変な作業だった。牛刀と呼ばれるナイフで、緊張しながらも力をいれ解体していった。内臓部分は力をいれながらも丁寧に取り除く。少しでも内臓を傷つけてしまうと、もも肉や手羽などの可食部に独特の臭みがついてしまうからだ。約二時間かけて、私は自分の鶏を自分で肉にした。

その翌年、私は校外学習で屠場の見学に行った。着いてすぐに、肉が出来るまでの過程を追ったDVDをクラスみんなで観賞した。「うわっ」「おおっ」という声があがる。私も目の前の光景に目がはなせなかった。

DVDに黒い牛が映る。牛の眉間に屠場の職人さんがスタンガンのようなものを当てると、牛は大きく倒れた。そこからはとても速かった。大きなナイフで頸動脈を切り放血したかと思うと、牛の後ろ足にチェーンがつけられ、牛の体が持ち上がり、次の工程へと進んでいく。大きなペンチで足を切除し、皮をむき、内臓を取り出していく。速い、速い。速いだけじゃない、とても丁寧で正確に作業が行われている。最後に牛の背骨にそって、大きなチェンソーで一頭を二つに分割する。熟練した技術を持つ屠場の職人さんによって、先ほどまで「動物」だった命がいつもの見慣れた「肉」という命にあっという間に変わった。

「すごい、すごい。神わざだ。」興奮が収まらなかった。パッと映像が変わった。次に映ったのは赤い文字で書かれたハガキと手紙だった。「残酷」「動物殺し」「人間のやることじゃない」屠場で働く職人さんに対する差別、誹謗、中傷の手紙だった。興奮が一気に冷め、心臓を握られてるようなギリギリした痛み。悲しさや怒り、悔しさが身体中に駆け巡る。一年前に行った鶏の屠畜作業を思い出し、まるで自分に言われてるようにも感じた。

牛丼やハンバーグ、焼き鳥に豚カツ。どれも最初は「動物」だった。「動物」は「肉」にしないと食べられない。「肉」にするためには「動物」を殺さなければいけない。「動物」を殺して「肉」にするにはそれなりの技術がないとできない。屠場の職人さんはいつでも真剣に働いている。器具の殺菌から徹底して行い、肉は何度も検査にかけ、私達の食卓に届く。今は日本人のほとんどが肉を食べる時代だというのに、なぜか動物の屠畜に関しては未だにタブー視され、屠場の職人さんが差別されている。この現状に私は納得することができない。

そんな私には将来、やってみたい仕事が沢山ある。「絵本作家」はそのうちの一つだ。自分が鶏を屠畜・解体したことや、屠畜で見たこと。それらをぜひ絵本にしたい。食の裏側で働く人の存在や、私達の命は沢山の命の犠牲で成り立っていることを、私の絵を通じて大人にも子供にも知ってもらいたいのだ。

食べ物がまるで「モノ」のように消費される現代。私の仕事で、もう一度「食」ついて見直し、「食」に感謝できるような社会にしたい。

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