【 佳  作 】

【テーマ:働くこと・職探しを通じて学んだこと】
地域の中で生きていく私の決意

― 自分に与えられた役割 ―

島根県  諸 田 正 宏  30歳

福島県で育った私は、子供のころから農業や自然に興味があり、将来は農業経営者として自立したいという気持ちがありました。弘前大学農学生命科学部を卒業し、大阪ガスグループのレストランチェーンを経営している会社で3年3か月にわたり外食産業・フードサービスのノウハウを身に着け、調理師免許を取得しました。甲子園店、芦屋店といった会社の中でも「重点店舗」と呼ばれる店を担当することで、自分の実力を磨くことが出来たと思っています。

2011年3月11日の東日本大震災。福島県郡山市の実家が半壊し、福島県の大部分が放射能の被害に見舞われました。サラリーマン生活はとても有意義で学びの多い日々でしたが、「これからの自分の人生をどう生きるか」と考えたとき、自分のやりたいことで飯が食える環境を作りたいと思うようになりました。2012年6月末で株式会社キンレイを退職、島根県飯南町地域おこし協力隊となりました。飯南町の嘱託職員として「頓原宇山営農組合」に配属となりました。べにあずま・べにはるかの栽培に関わり、焼き芋にして冷凍保管し、栽培と収穫・販売の手伝いを行いました。サツマイモの生産では、植え付けから収穫までの一貫した栽培技術を身に着けました。また、水田稲作に関する外回りやオペレーターとして関わり、地域から頼りになる存在になりました。3年間、農業に取り組んだことで技術と体力をつけることができ、自信にもなりました。

協力隊の任期後、大きなご恩をいただいた島根県に引き続き残るという決断をしました。地元にある飯石森林組合・きのこセンターに転職しました。農業に関する夢は捨てきれず、「週4日はきのこセンターの職員、週3日は農業」といった生活を送っています。さつまいもの栽培と宇山集落営農組合のオペレーターとして地域農業の維持・発展に従事し、さつまいもを使った六次産業化に取り組んでいます。農業経営者として自立できるように知識と経験をつみ、地域農業を引っ張っていけるような人物になることが当面の目標です。

 島根県飯南町で、のべ4年間にわたりサツマイモの栽培および六次産業化に取り組んできた毎日は、自然環境や自分との闘いでした。精一杯取り組ませていただきましたが、「さつまいもという商材ではお金にならず、定住は難しい」とのジレンマと戦っています。さつまいもは、手間がかからない分、単位当たり収益、農業所得も低く、「さつまいも栽培だけで食っていく」という難しさを痛感しました。農業で食べていくためには、農業経営面積は、1ヘクタール前後という広大な農地が必要です。連作障害に対応するため、露地野菜の生産、稲作との組み合わせで輪作できるような農地を確保できるように、地域住民とのコミュニケーションを図ることで規模を拡大してきました。農業経営者として自立できるように知識と経験を積み重ねる毎日でした。

 その中で、「自分に与えられた役割」というのを感じるようになりました。農業生産だけでなく、その魅力を引き出せるような商品開発(規格外品の有効活用)、販路開拓、マルシェへの出店などで、知名度の向上を図るなど、農家さんのサポートを行うようになりました。地元を出たことのない農家さんにとって、自分の地域を客観的に分析して発信していくことは困難です。私には、ヨソモノの視点がある。それが武器になると気付いたのです。また、都市住民を招いての収穫体験、調理師免許やフードサービスの提供ノウハウを生かして料理教室なども開催しています。今後はブランド開発や、ECショップなどを使った販路の拡大、島根県産農産物の販路拡大など、地域のプロデューサーを目指しています。「自分に与えられた役割」をしっかりと果たしていきたいです。

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