【 佳  作 】

【テーマ:働くこと・職探しを通じて学んだこと】
繋いだバトン
香川県  秋 山 瑞 葉 25歳

「こんなつまらない仕事、よく七年も続けられましたね」

 直属の後輩に言われた台詞である。仕事のことで相談がある、と呼び出された折のことだった。塞いでいる後輩の心をまず解そうと「私、もう勤続八年目だから、お局レベルかな」と軽口を叩いたら、冒頭の言葉が返ってきたのだ。

 後輩に悪気はなかったと思う。仕事の悩みが影響して、刺々しい言葉遣いになってしまったのだろう。しかし後輩の言葉は、私の胸を懐かしさで締め付けた。かくいう私も「つまらない仕事だ」と、先輩に愚痴を垂れたことがあるからだ。

 私の職業は水道関係会社の一般事務、俗に言うOLだ。データを入力し、コピーを取り、机を拭き、書類を作成する。特別な資格は必要ない。よく言えば楽、悪く言えば退屈。「誰にでもできる仕事」と、営業職の友人に揶揄されたこともある。

 後輩は言う。

「毎日同じ仕事の繰り返しで、やりがいがありません」

 後輩は、学生のとき三年間花屋でアルバイトをしていたらしい。センスを褒められることが多く、接客の評判も上々。店長に社員にならないかと持ちかけられたほどだと言う。

「バイトの時と比べると、今の仕事が何の役に立っているのか分かりません。誰にお礼を言われるわけでもないし」

 接客業と事務職の決定的な違いは、相手の顔が見えるかそうじゃないかだと思う。事務職は、お客様の声が聞こえにくい場所にいる。感謝されることもなければ、文句をぶつけられることもない。肩がこるまで入力したデータがどのように役立っているのかも見えないし、指がかさかさになるまで作成した書類が誰の手に渡るのかも分からない。

「時々、辞めようかなって思います」後輩の言葉に、分かるよ、と相槌を打った。

「実は私も、退職願を書いたことがあるよ」本当ですか、と後輩は目を丸くした。

「あなたと同じように、仕事を退屈に感じていたころ、ワーキングホリデーで働いている友達に会いにカナダへ行ったの。その時、こっちで一緒に働かない?って誘われたの」カナダで働く友人はとても輝いて見えた。毎日単調な作業を繰り返す自分が、情けなく思えた。悶々と思い悩む日々が続き、そんな私を見て、当時の先輩が声を掛けてくれた。そして私は愚痴をこぼしたのだった。

「その時、どうしてカナダへ行かなかったんですか?」後輩が問う。

「当時の先輩に、教えてもらったことがきっかけかな」私は先輩の言葉を真似して、後輩にたずねた。

「問題です。世界196ヶ国の中で、水道水が飲める国は何ヶ国でしょう」

「うーん。100くらいですか?」

 私は笑って首を振った。「日本を含めても15ヶ国しかないんだって。すごいことだと思わない?」

「なんか誇らしくなりますね」後輩の瞳に、少しだけ光が差した。

「私たちが毎日繰り返していることが、一億分の一でも、日本の水道の役に立っているの。そう考えたら、辞めるのなんかもったいなく思えちゃって」

 退職願は破って捨てた。カナダの友人にはメールを送った。あなたはカナダで、私は日本で、お互いに頑張ろうね、と。私は日本の水道のために働きます、と威勢のいい台詞も添えた。

 後輩が、姿勢を正して言った。「もうちょっとだけ、続けてみることにします」

「私も先輩にそう伝えてから、あっという間に七年が過ぎたよ」

 そう言うと、後輩は声を立てて笑った。かつて先輩に教えてもらったことを、後輩に伝えることができた。リレーのバトンを繋げられたようで、嬉しかった。

 この国にはたくさんの職業がある。華々しく達成感に溢れる仕事などほんの一握りで、泥臭かったり苦い思いをしたりするものがほとんどだろう。だけど、意味のない仕事なんて一つもないと、私は思う。目に見えなくとも、声は届かなくとも、この作業が誰かの役に立っている。そう考えると、キーボードを叩く指にも力が入るのだ。

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