【 佳  作 】

【テーマ:働くこと・職探しを通じて学んだこと】
諦めないこころ
兵庫県  松 本 明 佳  21歳

 心臓が大きく動いた。何度見ても大学合格者の受験番号の中に私の番号はどこにも無かった。私は子どもの頃から自然が大好きだった、田舎に住んでいたので夜は吸い込まれそうなくらい星が綺麗だった。理系の大学で宇宙の研究をしたかった、それが私の夢だった。辛いのは私だけでは無かった。父が一番がっかりしていた。痛いほど娘の私に伝わった。父は私を男手一つで大切に育ててくれた、その期待に応えたかった。

 早く働きに出たかったので再受験はしなかった、結局学費が比較的に安い京都の文系の大学に進学した。大学の講義は朝から晩まで詰め込んで、いい成績を残せるように今まで学んだこともない分野を必死で勉強した。この時間に父が必死に汗を流して働いてくれている、そのお金を使っているのだと思うと胸が詰まった。

 大学2年生になってから、知人の紹介で祇園のお茶屋さんでアルバイトを始めた。そのお茶屋さんは昔舞妓さんをしていた女将さんが切り盛りしていた。そこで女将さんに私は多くの事を教わった。アルバイトの学生を自分の子どものように叱って、諭してくれる人に私は初めて出会った。「新聞はな読みよし、知識が身につく。」「親にはいつも感謝してはるか?」「舞妓さんはな、最初は姉さんに毎日毎日怒られではるんやで、でもな、すいませんおおきに姉さんまた教えておくれやすって我慢してるんやで、あんたより若い子がやで。」と、いつも私に大学では知る事の出来ない働くという現場の一面を教えてくれた。お客さんが来ない間はカウンターで勉強をするように言われていたので、大学の講義についていけなくなる事もなかった。

 その生活が続き、私は2年生の秋、念願の理系の大学に3年次編入学することが決まった。そう、私はずっと諦めていなかった。講義の合間に編入学の勉強をした。一番影響が大きかったのは祇園の女将さんが私に与えてくれていた勉強時間だろう。私の人生に彼女がいなければきっと今の私は居ない、それ程感謝している。迷惑ばかりかけてしまった父に少しばかり親孝行をすることが出来た。私は初めて父に大学院に進学したいと申し出た。父は私に「好きなようにしなさい、努力しているのは知っとるけん。」と言った。早く大学院を卒業し、働いて父に楽をさせてあげたいと強く思う。

 現在、私は編入学をした大学で宇宙物理を学んでいる。2年越しの小さな夢を私は叶えることが出来た。もちろん、編入学した大学の講義は私にとって大変難しかった。周りの学生が皆理解していることも私だけ理解できていないということはざらにあった。自信を無くし、大学に行くのが嫌になった日もあった。しかし、多くの親切な人たちに助けられ私は、無事に今年度大学を卒業することができる見通しがつき、研究室での生活にも慣れてきた。

 そして次の目標はアメリカの大学院で宇宙分野の博士号を取得することである。最終的に私の夢は宇宙を研究する仕事に就くことである。

 私は人生に無駄な事など一つも無いと思う。どんな失敗、挫折であれそれは必ず人生において何かしらの意味を持つだろう。決して諦めることはない、何かを成し遂げるには、私のように諦めの悪さが大変重要である。

これから社会に出て私は世界の為に働き、貢献したいと思っている。働く中で辛いことや、乗り越えられないように思えることもあるだろう。そんなとき、私は今まで私を支えてくれていた人々の顔や父の背中、祇園の女将さんの言葉を思い出すだろう。これらの経験は私を挫折から何度でも立ち上がらせる。

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