【 佳  作 】

【テーマ:多様な働き方への提言】
誇れる仕事、誇れる自分
神奈川県立厚木高校  成 見  薫  17歳

「私文かよ。楽するなよ。」

私が通う高校は公立高校の中では進学校で、国公立大学を目指す人が非常に多い。学校側も国公立大学を生徒に勧めている。そのような中で、私立大学文系学部、いわゆる「私文」を目指す人間は、しばしば周りから低水準にみられる。これは、自分の志望校を伝えたときに言われた言葉だった。この発言をした彼と私はよく話す仲だし、お互いをふざけて謗ることだってよくある。しかし、いつもの他愛もない会話の中であるこの一言を、私はずっと腑に落ちずにいた。

進学先は楽か大変かで決めるものであるのか。レベルの高さや低さで決めるものであるか、決めてよいものなのか。違う。違うと思う。私には夢がある。そしてその夢に近づくために最も適した場所は、今私が目指しているあの大学のあの学部である。だから私は、その大学を志望校に決め、勉強に励むべきなのだ。こうして、心の中ではっきりと信念を貫き通せたことを、自分でも少しびっくりしていた。もしあの手紙をもらっていなかったら、私はこのように、人の中傷をものともせず、自分の意思を貫き通せただろうか。

大好きないとこからの手紙。彼女は小さいころ、会うたびにずっと年下である私の面倒を見ていた。それがきっかけとなって保育者を目指し続け、晴れてこの春から幼稚園の先生として働いている。私が物心ついたころには、すでに彼女の夢は保育者だった。一緒に食事や旅行にいったときは、小さい子を見つけるたびに、目を細めてかわいい、かわいいと口にしていた。小さい子どもが大好きないとこに、この仕事は天職であると思う。

保育者という職業は、日本の中であまり評価されておらず、学力も低くみられている。彼女の大学の同級生にも、本当に保育者になりたくて進学した生徒は、そう多くなかった。高校時代に、周りから、「もっと良い大学に行けるのに、もったいない」といわれたこともあった。そして、自分が選んだ道を、これで良いのかと疑うこともあったという。手紙には、そんなことが書いてあった。でも、彼女は自分の夢を追い続けた。そして今、自分の職である保育者という仕事に誇りを持っている。「こんな素晴らしい職業は他にないって心から思っています。」力強く書かれたこの一行は、私を改心させてくれた、大きな一行だ。よく「そっか、私文なんだ。」という友達や先生の発言に対して、勝手に軽蔑されているような気になることがある。そして自分の希望する進路を疑ってしまう。でも、その度に彼女の手紙を思い出す。その手紙に映る、生き生きとした彼女の顔を思い出す。あの手紙は、今も私を奮起させる源となっている。

「さとり世代」と言われることが多い私たち。行くことができる進学先、就くことができる就職先を必死に探す。やっと見つけた自分の行き先も、他人に少し否定されただけで、あきらめたり、変えてしまったりする。それで本当に自信を持って仕事ができるだろうか。自分の価値を自負することができるだろうか。それは、個人単位の問題に限った話ではない。仕事とは、何らかの形で人や社会に貢献する必要がある。だから、そういう人が増えることで、社会全体の活力がなくなることも、私は懸念している。一人の高校生として、今、進路学習の最中にいる同世代の人たちに気づいてほしい。夢を持ち、何があっても夢を追いかけ続けること、そしてその後、自分の仕事に誇りを持つということが、どれだけ素晴らしく、かつ重要なことであるかを。

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