【 入 選 】

【 テーマ:多様な働き方への提言】
釜ヶ崎の白い箱
大阪府  上 野 万 里 子  26歳

高校一年生の夏、私は所属していたボランティア部の活動の一環として釜ヶ崎での炊き出しに参加した。

大阪市西成区釜ヶ崎。漫画「じゃりン子チエ」の舞台にもなり通天閣にもほど近いこの町には、多くの日雇い労働者達が生活している。日雇いという非正規雇用の労働形態で働く彼らの生活は衣食住の全てにおいて不安定だ。彼らの多くは保証人の問題や年齢、収入の不安定さなど、様々な事情から定住できる物件を借りられないことが多く、簡易宿所や教会の施設等で生活を送っている。日雇いで一日働いても、日々の食事も満足にできないほどの僅かな賃金しか手に入らない。特に高齢の労働者は働き口すらなく、日々貧困と戦っている。

私が通っていた学校では、釜ヶ崎の教会や地元のボランティアスタッフと協力して定期的に炊き出しを行っていた。

慣れない真夏の炊き出しはなかなかの重労働だった。豚汁を作るために段ボール一杯のジャガイモを剥いたり、熱い豚汁の鍋をかき混ぜたり、大きな炊飯器で何度も米を炊いたりと、途中で音を挙げそうになった。実際に何人かは途中でギブアップしてしまった。

しかし、私達が作った豚汁を受け取る時、列に並ぶ誰もが笑顔を浮かべて、おおきに、ごちそうさん、と言ってくれたことが心から嬉しく、私はなんとか炊き出しを終えることができた。また、スタッフとして集まった地元のおっちゃん、おばちゃん達が皆、これぞ大阪人、と言わんばかりにパワフルで面白く明るい人ばかりだったことも最後まで頑張ることができた大きな要因だっただろう。なかでも、普段は商店街で喫茶店を経営しているマスターの話と彼が見せてくれた光景を、私は一生忘れることができないだろう。

炊き出しが終わり、スタッフ達と私達学生が公園のそばの教会にある休憩所で休んでいると、不意にそのマスターが、学生の君らに見といてほしいもんがあるねん、と私達を教会の二階へ呼んだ。二階には教会の事務室があり、その隣には古く小さな十字架が掲げられた扉があった。マスターに招き入れられたその扉の向こうには、天井まで届きそうな大きな棚が三つ、壁や窓を塞ぐように置かれている。そしてその棚に所狭しと並べられている箱は、どれも白い布にくるまれていた。

「なあ、君ら。この棚に並んどる箱、何やと思う?」

答えに詰まる私達に、マスターが言う。

「これはな、釜ヶ崎に住んどったおっちゃんらのお骨や。この人らには弔うてくれる家族も、お墓作ってくれる人もおらんかった。身元が分からんままの人もおる。せやから、ここの教会の人が供養してくれとるんや」

 私は驚いて何も言えなかった。この小部屋の中に、白い箱は百個、いや、確実にその倍以上はある。

ふと、私は先程の炊き出しで食事を手渡した人々の笑顔や、皴の刻まれたいくつもの手を思い出した。

「貧乏でも家族がおらんでも、精一杯働いて精一杯生きて、誰にも助けてもらわれへんまま、最期はひとりぼっちで死んでいく人達がまだこの国にも沢山おるんや。おっちゃんはそのことを、まだ若い君らに知っててほしいねん」

 マスターはそう言って、棚に並んだ数えきれない箱に向けて手を合わせた。

 現在、日本の貧困率は実に16%を越えている。およそ六人に一人は貧困と戦いながら生きているのだ。「働けど働けどなお我が暮らし楽にならざりじっと手を見る」という啄木の短歌が思い出される。使い捨てにされる貧しい非正規雇用労働者達が行きつく場所は、小さな教会の二階にある白い箱の中しかないのだろうか。

 あの時のマスターと同じように、私も非正規雇用労働者の辛さやその厳しい現実を多くの人に伝えたいと思う。

 釜ヶ崎は通称、あいりん地区と呼ばれている。漢字では「愛隣地区」と書くそうだ。今は皮肉に聞こえるかもしれないが、この現状を多くの人が知ることで、貧しい非正規雇用者に寄り添った良い労働環境や生活環境が整うと私は信じている。

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