【 努力賞 】
【 テーマ:働くこと・職探しを通じて学んだこと】
働く母の幸せとは
東京都  小 竹 真 実 37歳

編集の仕事がしたいという夢が叶い、出版社の内定を頂いたのは大学四年の春。

あれから十五年が経った。

最初の十年は、必死に仕事を覚え休まず働いた。

ようやく、自分で仕事が回せるようになり、忙しさを乗り切る気持ちの余裕ができたとき、気付くと30を超えていた。

ああ、そろそろ子どもを産まなきゃ。

焦りと迷いの中で、長女を授かった。安定期に入るまでは、公にできないのが暗黙のルールだった。つわりと戦いながらの電車通勤は想像以上に過酷だった。

そして、夢にまで見た育休。

一年間仕事を休ませてもらった。けれど、体は休まらなかった。授乳とおむつ替え、泣く子をあやし、連日の寝不足……。

働いている方が楽かもしれない。心の片隅にそんな気持ちもあって、復帰した。

待ち受けていたのは、世にいう仕事と育児の両立だ。

保育園に送ってから会社に行き、退社時間から逆算しながらバタバタと仕事をして、電車に飛び乗り保育園にお迎えに行く日々。

ああ、やっぱり育休中のほうが楽だった。そう思った。そして、間もなくして次女を妊娠した。

幼い子供を抱えての妊娠は、また大変だった。

二人目だから慣れているなんてことは無い。つわりと保育園と仕事のトリプルパンチだ。ああ、もうダメだ……早く休みたい……。

そうして、次女を出産。

夢に見た二度目の育休だ。これがまた、想像を絶する大変さだった。夕方になると二人一緒に大号泣。長女のご飯を作ろうとすれば次女が泣く。

わたしは一体いつお風呂に入ればいいの? 

いつ美容院に行けばいいの? 

産後目立ち始めた白髪を気にして初めて薬局で白髪染めを買ったはいいが、使う時間がない。携帯だっていじれない。

やっぱり働いているほうが、自分一人の時間もあって楽なのかもしれない……。

そして、二度目の復帰。

なんと、次女は長女と同じ保育園に入れず、二か所の送迎の後出社することになった。その分、朝の逆算の時間が長くなる。長女を後ろに、次女を前に乗せた三人乗りの自転車で、次女の保育園に行き、次女を預けてから今度は長女の保育園へ。そして駐輪場に自転車を停めて、駅の改札を駆け抜ける。

さあ、そこからは仕事モードだ。朝の会議に出す企画書をチェックしながら通勤電車に揺られる。職場では、最初の育休明けのときよりも重い仕事を任されるようになった。

仕事が終わると、電車に飛び乗り、朝の逆の流れで子供たちをお迎えに行く。へとへとになりながら、スーパーに寄って食材を買い、ふざける子供を注意しながら帰宅。そして、ご飯の支度。子供たちが食べ始める頃に夫の帰宅。また料理。そう、座る暇がないのだ。 

いつしか、充実感と疲労感はマックスになっていた。

そして、人間ドックで高血圧が発覚し、ほどなくして動悸と眩暈が止まらなくなり、不安障害と診断された。

無理して走り続けてきたことに、ようやく気付いた瞬間だった。

子供たちのためにも、元気で働いて長生きしなければ。ワーキングマザーならだれもが掲げる3つの願いだろう。

休もう……そう思った。

復帰するために、元気でいつまでも働くために、少し体を休めよう。

動機も眩暈も、前々から予兆はあった。そのことに、気付かないふりをしていた自分にも改めて気づいた。

 

そうしてわたしは、現在傷病休暇を取っている。

病院に通い、服薬し、復帰に向けて体調を整えている。企業で働いてきたからこそ、この環境があり、この環境にあるからこそ、復帰して恩返しをしなければと思う。

 元気で働いて長生きする。その基盤があってこそ、編集という仕事で読者を幸せにできるのだと思っている。

 働くことは、生きることだ。

 仕事で人を幸せにするのと同じように、働く自分が幸せでなければならない。

立ち止まって初めて手にした大きな目標だった。

 わたしの幸せは、子供たちの笑顔、夫の笑顔に支えられ、読者のためにいいページを作る母であることだと心の底から思うのだ。

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