【 努力賞 】
【テーマ:仕事・職場・転職から学んだこと】
仕事、その先にあるのは―
千葉県 Atsuko 31歳

6年前から、私は社内ニートになった。それは自業自得とも言うべき結果だった。

テレビ局に入社し、局内の誰もが憧れる制作現場に異動になったのが7年前。念願の番組制作ができることが嬉しかった反面、1日も早く一人前にならなければという焦燥感があった。ゆえに残業も厭わず睡眠2時間の日々が続き、異動から1か月経った時のことだった。先輩ディレクターから「テープ持って来い!走れ!」と言われた時、走る力が出ないことに気付いた。足を前に出したくても、思うように動いてくれない。こんなこと、初めてだった。「何やってんだ!」そう怒られることも徐々に増えていった。「ああ、自分はもう仕事がデキない人なんだ」怒られる度に頭をもたげ、気持ちが塞いでいった。
そして、ついに私は布団から出られなくなってしまった。うつ状態だと診断された。数か月の休養後、今の総務部に異動になった。

やる事は、いわゆる庶務だった。はさみがなければ、はさみを買う。蛍光灯が切れれば、蛍光灯を変える。そんな単純作業だった。目の前にある仕事が、自分がやりたい仕事ではないことにコンプレックスを抱いた。これは制作が務まらなかった罰だという思いにさえ駆られた。制作よりも必然的に仕事量が少なく、次第に自分の仕事を「仕事」とは思えなくなった。それから、「私は、社内ニートだ」そう自分を認識するようになった。

4月のとある日、同期のAくんから、名刺の発注を頼まれた。わたしはいつも通り、印刷屋に名刺を注文した。通常2日で納品されるのだが、3日経ったが納品されなかった。確かに注文はしたのだから、直に納品されるだろうと思った。4日目、Aくんが私に「名刺はまだなのか」と尋ねた。「もうすぐだと思うよ」そう答えた。「いつもより遅くない?」彼は苛立っていた。「たしかに」彼は私のこの答えに怒りを露わにした。「『たしかに』じゃねえよ。先方に確認しないわけ?今さ、新年度始まって、めちゃくちゃ挨拶回りしてるんだよね。だから、名刺がすごくはけるんだよ」いつも温和なAくんが、ものすごく怒っていた。

私は、ハッとした。今まで、たかだか名刺を発注するくらいの雑務、と思っていた。「わたしは社内ニートで、モノを注文する雑務しか任せてもらえない」そんな鬱屈した思いで、日々をやり過ごしていた。同じ職場で働く同期のAくんがぶつけてくれた怒りが、気付かせてくれた。「与えられた仕事のその先には必ず、人がいる」ということを。自分が為す事のその先に、人がいる限り、それはどんな小さなことであれ、「仕事」なのだと、初めて気付いた。華やかな番組制作だけが、仕事だと思っていた。やりたかった仕事ができずに、それ以外の作業は仕事に思えなくて、制作現場の人より業務の少ない自分を社内ニートだと括っていた。しかし、自らを社内ニートたらしめていたのは、自分自身に他ならなかったのだ。目の前にある仕事のその先にいる人を想像できずに、その仕事に対して「雑務だ、雑務だ」という思いばかり募らせて適当に処理していた自分が恥ずかしくなった。

それから、目の前にある仕事に対する見方が180度変わった。自分がやるべき仕事は、その先に人がいるからこそ発生している。テレビの向こう側に視聴者がいるから番組を作るのと同様に、フロアで困ることなくスムーズに仕事をしてほしい人達がいるから総務をする自分がいる。気付かせてくれた同期のAくん、ありがとう。私は社内ニートではない。私は総務部員だ。今、誇りを持って、目の前の仕事に取り組んでいる。

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