【 佳 作 】

【テーマ:非正規雇用・障害者雇用で訴えたいこと】
障害者雇用としての自信
神奈川県 谷元博樹 35歳

“障害者だから”“障害者雇用だし”
障害者雇用制度を利用して仕事に就いた2年前、そんな甘い気持ちが、心のどこかに浮かれ気分として存在していたことは今だから言える正直なところだ。実際に自分の職務は周りに座っている同僚と同じもので、入社の5日後には出張に同行し、半年後には新人を教える立場になり、毎月行われる会議や講演会の事務局として走り回り、
「私、障害者だっけ?」
と自分に問いかけ、ふと笑みをこぼしながら楽しい疑問を持つこともしばしばあった。けれど、障害者という肩書きを忘れさせてくれる今の仕事に出会えたことに私は誇りを持っているし、こういった職場が世界に広がると良いなと強い希望を持っているのだ。

5年前に免疫の病気を患い、身体障害者二級と認定された。当時は飲食業を営んでいて現在の職務と比べると身体を動かすことが多かった。障害者となったから身体が動かないわけではない。むしろ障害者であることを忘れる毎日だった。しかしながら将来的なことを考えると身体に負担のかからない事務職への転職を考え、ハローワークで障害者雇用の存在を知る。一定の雇用人数がある民間企業は障害者の雇用が義務づけられている法律に基づいた制度であるが、正直そんな法律や制度の中身よりも「少しは楽な仕事になるのかな」と楽観的な考えで求人票を見て今の職場に出会う。ただ、そこで待っていたのは、現実は甘くはないという言葉そのものだった。そして障害者雇用として働けて得たものもあるのだ。

私は、現在病院の事務職で働いている。業務内容は様々だが一般的には患者様の診療予約を取ることや地域に点在する医療機関とのパイプ役として医療連携の一員として電話とパソコンと睨めっこの毎日だ。さらには院内外で行われる会議やセミナーの企画、設営、受付、報告書の作成にも注力している。また2年という歳月の中で、既に五人の後輩を育てている。けれども弱音は許されない。街の急性期を担う大きな病院の顔の部分で働いているからには穴を開けるわけにはいかず、病院経営上、責任のある部署に私は座っているのだ。そんな重要な部署に障害者である私を受け入れているのはどうしてなのか。肉体的にも精神的にも、いつ脱落してもおかしくない。それでもこの仕事に就いてもうすぐ3年目を迎えるのだ。

福利厚生が充実している!給料が良い!

生々しい理由だが、そうではない。きっと障害者である前に労働者であることを周りが認めてくれているからだと感じるのだ。飲食業から病院の事務職という大きな転換ではあった。それ故に数々の失敗もあり、挫折も味わった。それでもここにいる理由は、その経験を糧にして、周囲の同僚と同じように成長させてくれた職場の環境があったからではないかと自負している。

毎日、何人もの患者様と接している。ほとんどは電話での応対だ。そのほとんどは、何かしらの不安を持っての予約の電話だ。決して笑える話ではない。その中に私は目標を決めている。

“一人の患者様に笑ってもらう”

「ありがとう」人は微笑みながら言うはずだ。その微笑みを受話器の向こうから感じるのだ。

障害者雇用=特別な待遇。この甘い方程式はむしろ正解かもしれない。障害者雇用だからこそ働くことへの自信が保たれ更に高まっていく。その環境がどの企業にも必要だ。
「自分は障害者だから簡単な仕事しか来ないだろう」「あなたは障害者だから簡単な仕事しか頼めないだろう」これは真の障害者雇用とは言えないはずだ。障害者だけど私にはこれができる、逆にあなたにはこれができる、相互がプラスに働く環境が障害者雇用には必要だと考える。

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