【 佳 作 】

【テーマ:仕事・職場・転職から学んだこと】
働くことへの道しるべ
慶應義塾大学総合政策学部 城内香葉 21歳

20歳を迎えた私と、定年を数年後に迎える父とでビールを飲んだ日、就職活動への不安を隠せないでいた私は、後悔もやり残したこともひっくるめて、これが我が人生と頷いてみせた父が眩しかった。

父は私が小学生の頃、不慮の事故で利き指の四本を骨折、四度の手術を繰り返し、転職を余儀なくされた。「本当なら、退職金が入って、母さんを旅行に連れて行ったり、お前たちの嫁入り支度をしたりできただろうにな。人生は思うようにはいかない。面目ないな」父らしくない事をいう時、母は必ず擁護する。

「遊んでいた事も、税金払わない事もなかった。父さんは責任を果たしてきたじゃないの。なにが面目ないの、立派なものよ」と。

母は、私たち子供の成長に合わせて、仕事を選んできた。家に居て父を支えた頃もあれば、半日パートに出たこともある。そして今は再び正社員として働いている。家族一人ひとりの夢を応援しながら、家事に育児に祖父の介護に、町内会の役員までいろいろと引き受け飛び回る母には、頭が下がる。「若い頃のお母さんの夢って何だったの?」聞こうとして言葉に詰まった。母はいつも自分のことは後回しで、決してやりたいことだけをやってこられたわけではないのだから。

姉は2年間勤めた大手金融会社を退職して、やりたかった美容関係の仕事へと転職した。「もったいない」そう何人に云われか知れないという。せっかく頑張って就活して、難関を突破したのにと、これからの気の重い自分の就活を考えると、私ももったいないと思ってしまう。しかし姉は、「もったいないって、ネームバリュや安定のことかなぁ?本当にもったいないのは、やりたいことをやろうとしないことなのに」とケロッとして笑う。

私は、大学の近くに部屋を借りて一人暮らしをしている。私の初めてのアルバイトは居酒屋の店員だった。仕事を覚え店舗チームの戦力になっていった時には、働いてお金を得ることに喜びを感じた。何よりお客様にありがとうと言ってもらえることが嬉しかったし、自分で働いて得たお金で食べる食事は美味しかった。衝動買いをしてお財布にお金が無くなると、寂しい感じがした。親の口座から落ちる通信費を気にもせず、携帯電話を使っていた頃には感じなかったことだ。

祖母は80歳になるが、畑仕事に精を出す。そして、自慢の野菜を朝市で販売している。朝早く畑に水やりに行く祖母に「こんなに早く起きて大変だね」と声を掛けると、「おばあちゃんは早起きが得意なの。明るくなると寝ていられないのよ。その代わり昼間は暑いから、好きなだけ昼寝しているよ。暑い時に仕事している人には申しわけないね」と豪快に笑う。指先が凍りつきそうな寒い冬の朝も、やっぱり早く起きて、畑に行くのだけれど。

どうやら私たちは、働くことを止められない生き物のようだ。国民の義務とか、食べて行くためとか、言葉にすれば、それはもちろんそうだろう。だけど、その中に生き甲斐や楽しみを見出す逞しさを持っている。生まれながらにして、人の役に立ちたいという本能を持っている。背負っているものの大小を他人と比べて、羨やましがったり、勝手に大変だろうと想像したりしても、まるで意味がない。価値観は他人には計れないものばかりだ。

指を怪我して趣味のバスケットが出来なくなった父は、職場のフットサルチームに入って、元気に走り回っている。「学業優先でね」「賄い残したらだめよ」スーパーに勤める母は、まるでアルバイトの学生の母親代わりのようだ。「おばあちゃんの野菜を待っている人がいるから行かなきゃならないのよ」と祖母は今日もパワー全開だ。

働くって逞しい。働くって輝いている。人との関わりの中で、ささやかな出来事が、明日への活力となり、小さな幸せを運んでくれる。私の家族は、私にとって働くという事への道しるべである。

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