厚生労働大臣賞

【テーマ:女性として頑張りたい仕事・働き方】
母の背中
大阪府 上野万里子 25歳

私には、働くうえで憧れる女性がいる。彼女は強く魅力的な女性で、かつ子供を心から愛している素晴らしい母親だ。働く業種こそ違えど、私はこの人の様になりたい、そしていつかこの人を越えてみたい、と思って毎日仕事をしている。私の憧れる女性とは、私の母だ。

「それじゃあね、万里子。いい子にしておうちで待っててね」

そういって母は小学生だった私の頭を撫でる。びしっとしたカッコいいスーツを着て、胸元には華やかなブローチ、キラキラした時計がはめられた左手の薬指に指輪はない。

私の母は友人と共に20代で小さなデザイン会社を立ち上げ、業種をコンサルタントに変えてからは一人で会社を経営していた。事業は軌道に乗り、母には町おこしをしたい自治体や産学連携を目指す企業や大学からの講演依頼が殺到した。こげ茶色の書類カバンと大きな真っ黒い旅行カバンを担いで、母は日本中を飛び回った。一年に百回も飛行機に乗っていた年があったほどだ。

いつものこととはいえ、私は母との別れを思ってよく泣き、行かないで、とだだをこねて何度も母を困らせた。ほとんどは一泊だけの出張だったが、子守りをしてくれるような頼れる親戚は近くにいない。母のいない日はいつだって寝付けず、寝室の天井を睨みつけながら私はひとりぼっちで朝を待った。
「お母さんが働いてたら、お留守番ばかりさせることになってかわいそうでしょう」
「子供がいるんだし、仕事を減らしたら?」

何もしないくせに文句だけは言いたがる周りの大人がそうして母を責める。そのたびに私は、ほなどないしたらええねん、と心の中でつぶやいた。母子家庭で働き手はもちろん母だけで、育児やら家事やらを手伝ってくれそうな祖父母や親戚は遠い遠い場所に散り散りだ。頼れる人なんていない私達にはこの状態が最適解なのに、どうして他人が文句を言うのか。こんなにカッコいい私のお母さんが社会で働くことは、そんなにいけないことなのか。

母は、他人のお小言を聞く暇があるなら子供と過ごしたい、と言わんばかりに休日には必ず私と遊んでくれた。勉強や日常の作法や料理も、厳しくも愛情を持ってしっかりと教えてくれた。多忙を極める中、子供の私と遊ぶ時間を捻出することはいったいどれだけ至難の業だっただろうか。考えただけで、私はいつも母の偉大さを切ないまでに感じるのだ。私は母を誇りに思うと同時に、いつかこの人の様な母親になりたいと思っている。

しかし、一個人として私は、女性の労働やそれを取り巻く環境に対して非常な不安を覚える。男女雇用機会均等法や男女共同参画社会基本法といった、性別にとらわれない社会を創るための法律はどちらも施行されて15年以上経っているらしい。母が忙しく働いていた20年前より、女性はずっと働きやすくなったはずだ。就職でも性別で差別されることは減り、産休や育児休暇の制度はよりよく整えられた。社会制度は完成形でこそないが、常に発達し改善されつづけている。しかし、女性や子供を持つ母親である労働者に対する周囲の態度や視線は私が子供の頃と比べてどれだけ変わったのだろうか。

映画「プラダを着た悪魔」の中にこんなセリフがある。

「確かに彼女は厳しい人よ。でも男だったら仕事ができるってこと以外一切なにも言われないはずでしょう」

子供を育てつつ激務をこなす女性編集長に対してある男性作家が、編集長は女のくせに冷酷で厳格すぎる、とこぼす。それを聞いた編集長秘書の主人公が前述のとおり言い返すのだ。プラダを着た悪魔は2006年に公開された映画だが、女だから、と性別を持ち出して個人の人格や能力を正しく評価しようとしない人間は、残念ながら現在も多い。

現状だけを見れば、将来子供ができた時、私が順調に仕事を続けられるかは確かに疑問である。しかし私は素晴らしい母の背中を見て育った。優秀な労働力として、また良き母親として社会への貢献を続けて生きていきたい。

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