【 努力賞 】
【テーマ:仕事・職場・転職から学んだこと】
仕事・職場・転職から学んだこと
高知県 上阪久良 66歳

私は、振り返ってみますと、仕事を通じて、何度も自己発見・開発してきたように思います。と言いますのは、生まれてまずは家庭で、その後は保育園から大学まで、教育という集団の中で、遊びや学習を通し、私なりにもがきながら、少しずつ自分の個性や役割を自覚してきました。

しかし、この段階では、まだ実社会の荒波からは保護されていて、私の個性や役割も、現れたり、消えたりと不確かなものでした。

そしていよいよ、仕事を通じて、実社会に飛び込みました。それまで、勢いだけで行動していた私は、予期しない大きな壁を前にして、未熟な自分の考えの修正を余儀なくされました。

しかし、当時、若さと夢いっぱいの私はその現実には納得せず、少しは反省をしながらも、すばやく心身の体制を整えました。そして、再び社会という未知の計り知れないものに敬虔な思いを抱きながらも、目の前の現実にトライを続けました。

その後、こうして自己発見・開発を繰り返しながら、行動範囲を広げ進んで来ました。この方針は、66歳の今でも変わらず、進んでいるつもりです。

ここで、私の歩んだ道を紹介させて頂きます。私は、実社会の扉を、教師を目指していた大学在学中に開けました。社会を知りぬいた理想の教師を目指し、社会経験を積むため、故郷の滋賀から夜行列車に飛び乗り、翌朝、東京・上野駅に立ちました。そして、住み込みの新聞販売(赤羽・中野)、鋳物工場(埼玉)、八百屋(荒川)で働きました。

その後、一度大学に戻り、気持ちを新たにして、再び東京に出ました。今度は、当時、社会ではあまり知られていなかった、トレーニングジム運営からスタートしました。ここで、自分の居場所を見つけ大きく目覚めた私は、あこがれの教師の道を封印し、新しい道を歩き始めました。そこで大学中退を決断して、神奈川・相模原市のスポーツクラブでオープンから20年間、次に群馬・高崎市の学習塾と、どんどん自己表現できる舞台に上がれるようになりました。

ここから思いがけず、地域社会に目が開き、我が使命感に火がつき、各地で地域にとって「シンボル」になっている苦境の三セク施設再建に目覚め次々と責任の大きい運営の中心者の全国公募に挑戦しました。予想以上に面接者は多く、いずれも激戦でしたが、運よく採用になったのが高知・香美市の施設(温水プール・スポーツジム・ホテル・キャンプ場)、熊本・五木村の施設(道の駅・レストラン・温泉・淡水魚の養殖場)、大分・玖珠町の施設(新設「道の駅」オープン)、高知・大豊町の施設(高原花公園・道の駅です)。

各施設とも、全く知らない地域でしたので、必死でその地域の人々・風土・歴史・文化を学びながら、閉鎖寸前の施設等を何とか健全な運営の軌道に乗せる事が出来ました。この時、一緒に運営に汗してきた仲間達とは、その後も連絡を取り合い励まし合っています。今では、私の大事な友人達です。

その後、現在の住まいのある高知・香美市と高知市内の4校の市立中学で、60歳を過ぎてから支援員になれました。ここで、やっと、長い間封印していました、教師の世界に踏み込めました。感激で、各学校に行くたび幸せな気分を味わえました。一方、これまでの経験を生かせて、高知・本山町の地域雇用創造の仕事に就く事も出来きました。ここでは、今、注目の「地方創生」の先駆けとして町の発展を目指し、地域を駆け回りました。この時、地域に誇りを持ち情熱たっぷりのリーダー達から、新鮮な触発を受けました。

このように、私は目の前の仕事に正面から取り組む事により、少しずつ視野が広がり、同時に自分の可能性も広がった様に思います。これから先、66歳の私に、どんな舞台が待っているのか、楽しみです。

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