【 入 選 】

【テーマ:女性として頑張りたい仕事・働き方】
おかえりと迎えたくて
北海道 安堂トロワ 42歳

「おかえり」

そう言って娘を迎える。ぎゅう、っと抱きしめて、今日の元気を見極める。娘はくすぐったそうに身をよじり、友達と遊んでくると風の子みたいにさっさと出て行く。行ってらっしゃい!

働く母、10年生である。子供が出来る前は残業もいとわず、終電を逃してタクシーで帰るような働き方だった。キャリアウーマンが小さい頃からの夢で、任せられる仕事は必ずこなした。完璧を求める性格だった。

子供が出来たとき、働きながら子育てが出来るか不安だった。残業のときはどうしたらいいのだろう。保育園は夜間までやっているのだろうか。会社に迷惑をかけるわけにはいかない。自分が積み上げてきたキャリアを無駄にしたくない。遅くまで預けられる保育園を探し、それでも間に合わないときにも対応出来るようベビーシッターも確保した。準備は万全だと思った。

子供が生まれた直後の生活は愛しさと煩わしさと、不自由と優しさとが入り混じり、感情は浮き沈みを繰り返した。働いていた方が楽だとすら思った。

しかし実際働き出すとそれが間違っていたことに気付く。とにかくとんでもなく時間がない。保育園に送るのに朝6時に家を出る。お迎えに間に合わせるため、集中力を切らすことが出来ない。誰かと付き合いの一杯、というわけにもいかない。家に着くのは8時や9時。それから子供を寝かせて家事を片付け、自分の時間が取れるのは深夜零時をまわる頃というのもざらだ。

なにもかも中途半端だった。やりかけの仕事が残っている。その日中に終えなければならない仕事は誰かに頼むしかない。本当なら任されてもおかしくない仕事は目の前で同僚にスライドしていく。保育園のお迎えはいつも最後のひとりか、ふたりであることがほとんどだ。夜空の星を数えながら帰る娘をみて、いつの間に数が数えられるようになったのだろうと思う。お風呂あがりに「おかあさん、いっしょにあそぼ」と言われても寝る時間はとっくに過ぎている。次の日を考えると布団に連れて行くしかない。

なにも出来ていないじゃないか。そう考えたら行き詰まり、涙が出た。なにに向かって頑張っているのかわからなくなった。そんながむしゃらな生活の中で、第二子を宿した。高齢に差し掛かる私に医者は言った。仕事と命とどっちが大事か、ちゃんと考えなくちゃダメだよ。仕事は後からでも取り返せるけど、赤ちゃんのお母さんはあなただけなんだから。

そのひとことで背負っていたものを降ろすことを決意した。

日本は世界でも男性の家事・育児参加時間の少ない国に位置づけられている。夫婦が公平に家事育児をこなせたら、もう少し楽になるのかもしれない。今はふたりで家事分担出来るよう夫を育てつつ、仕事は時間短縮勤務としている。

生まれるまで、親がいなくても子は育つと思っていたが、実際は子どもが第一優先となった。キャリアウーマンを夢見ていたいつかの自分に教えたらきっと驚くだろう。

覚悟を決めた今でも、棚上げされたキャリアに心が動じるときがある。けれど、子供たちが親を必要としなくなる日はやがて来る。そうしたら仕事と向き合えばいい。子供の成長は待ってはくれないけれど、大丈夫。仕事はちゃんと待っていてくれる。今はそう自分に言い聞かせている。子育てでは忍耐と育む力が養われる。時間の使い方が上手になる。取捨選択を覚える。そう悪いことばかりじゃない。いつか完全復帰をしたときに、きっと役に立つだろう。

「働くための元気をちょうだい」と言いながら、子供を抱きしめて汗くさいつむじの匂いを嗅ぐ。あと何年、こうしていられるだろうか。きっと、ため息をつくより短いに違いない。そう思い、働く母を今日も頑張っている。

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