【 努力賞 】
【テーマ:私の仕事・働き方を決めたきっかけ】
5分間
北海道 をじろう 35歳

5分間。

わずかな時間のために、僕はこの仕事に就いたと言っても過言ではない。

僕は大学卒業後、警察官になった。小さい頃、正義の味方にあこがれた自分には何の迷いもなかった。警察学校では、連日厳しい訓練があったが、夢へ近づいている充実感があった。

ところが訓練中のある日、大阪でとんでもない事件が起こった。小学校に不審者が乱入し、多数の子どもや先生たちを死傷させたというものである。

警察学校内にも、大きな衝撃が走った。
「学校の方が危ないんじゃないか」
「小学校の先生だけで、守り切れるものだろうか」

同僚たちは、ことあるごとに話題にした。刃物をもった犯人を逮捕する訓練を行っている僕たちにとっても、致命傷を負わず相手を制止させる行為は、きわめて難しい。訓練を受けていない小学校の先生方では、子どもたちを避難させながらそれを行うのは、ほぼ不可能だろうというのが、僕らの認識だった。

別の機会に、教官からこんな話を聞いた。
「市民から通報を受けて、我々が現場に到着するまで、平均で5分かかっている。我々は、できるだけその時間を短くすることに心がけなければならない」

5分間という基準を、強く胸に刻んだ。

警察学校を卒業して出た現場では、実に多くの苦労とやりがいを感じた。

そんな中でも、学校への不審者侵入事件は続いていた。大阪の事件を模倣するようなものもあって、いてもたってもいられなくなり、僕は上司に相談した。「学校を守りたいんです」。すると上司はこう言われた。
「警察は事件が起こってから行くことが多い。お前が言うように本当に学校を守りたければ、先生にでもなるしかないぞ」

上司は、諦めさせようとしていたかもしれない。しかしこれで僕の心は決まった。学校現場では多少は力になれるという確信があった。教員採用試験の面接ではその話ばかりしたため、面接担当の方にあきれ顔をされるほどだった。

教員になると、現場は想像とは違った。事件などそう起きるはずもなく、しだいにやり場のないモヤモヤを感じるようになった。できることを考えていると、登下校時の不審者事案が続いていることを知り、子どもに対応を教え始めた。また、子どもたちと通学路を回り、危険な箇所を記した安全マップを作った。それらが「安全教育」という分野で存在していることを知った僕は、研修会等に参加して勉強も始めた。校内では、警察の方を招いて防犯教室を開いたり、情報交換したりするなどした。また保護者に緊急メールを送るシステムの導入など、先生方と協力し、学校・家庭・地域を巻き込んだ安全の推進を進めた。

そうしているうちに少しずつ仕事に自信が出てきた。あっという間に10年が経った。

そんなある日、学校に不審者が侵入してきた。廊下に怒声が響き、平穏な日々が一瞬にして破られた。

僕は奮い立った。子どもたちの避難行動を見届けると、男に立ち向かった。男は興奮しており、何をするかわからない雰囲気があった。通報は済んでいたから、5分間、時間を稼ぐことしか頭になかった。ジリジリとはりつくような緊迫感の中で、男の言動に注意を払い、落ち着かせる対応がとれたのは、警察での経験のおかげだ。

警察官は5分ほどで来て、幸い被害はなかった。

子どもたちの中には、ホッとして涙ぐむ子もいた。訓練ではない、本当の事件の怖さを知ったのだ。ただ考えなければならないことは、侵入に至る経緯である。ドアロックをすり抜けて侵入されたのは、校内の安全対策の不備と言える。まだまだ足りないぞと、教えられた気がした。

5分間を守り抜く。

最初は一人でそれを果たそうと思っていた。しかし今は違う。家庭、地域、警察などと連携することで、より確実性は増す。率先して橋渡しをすることこそ、自分の役割だと思えるようになった。

状況は常に変化する。それに合わせて自分を変えていく。

子どもたちの未来を守ることにつながるなら、自分はこれからもそうしたい。

戻る