【 努力賞 】
【テーマ:女性が輝ける働き方】
答えは出ない。でも、決まってる。
静岡県 久保田愛 32歳

「子どもと仕事、どっちが大事なんだよ!?」
夫の言葉に耳を疑った。まるで、世界が凍りついたような気がした。そして、「決まってるでしょ!」思わず涙声になる。

今朝、朝食を食べながら1歳2ヶ月の娘に授乳をした際、いつもよりちょっと温かいなという気がして熱を測ってみた。37.1度。平熱は36.7度くらいだから、やはり少し温かい。でも、食欲もあるし元気もある。確かに鼻水はちょっと垂れているけれど、今は4歳になった息子も、つくし組のときはこんなのしょっちゅうだった。だから、当然、今日だっていつも通り保育園に連れて行くつもりだった。

私は高校英語教師だ。今日は4コマの授業がある。職員会議もある。小テストの印刷もしたいし、来週の定期試験の範囲はまだ終わっていない。部活もあるし、委員会も予定している。そして何より、教室では子ども達が待っている。もし、今日私が休んだら大変なことになるのだ。休みたくないし、休めない。

それでも、私は休むべきなのかもしれない。母親だから。私が熱を出したとき、私は母が居間に敷いてくれたお布団に横になって、温かいおかゆを食べ、静かに一日を過ごしていたのだから。いわんや、熱など出さなくたって、いつだって母親が私のそばにいてくれたのだから。夫も同じように、義母に大事にされてきたのだから。そして、きっと、娘も今日は保育園に行かずに家で寝ていたいだろうし、そうすればこの鼻水も治まるのかもしれないのだから。

思いはいつだって複雑だ。

でも、「子どもと仕事、どっちが大事なんだよ!?」この質問に対する答えは微塵の疑いようもなく決まっている。子どもだ。子どもに決まっている。もし、子どもをさらう悪魔が私の前に現れて、仕事を差し出せば子どもを助けるというのなら、私は喜んで仕事を手放す。ただ、現実は「子どもか仕事か」という選択で済まされるようなものではない。

結婚、妊娠、出産、復帰。妊娠、流産。妊娠、出産、そして復帰。節目を迎えるたびに私は、夫に両親に、職場に、そして他の誰でもない自分自身に選択を迫られ迫ってきた。選ぶ自由は与えられていたが、「仕事はどうするのか」という問いから解放されたことはない。さらに、どちらを選んでも、また、選ばなくても「本当にそれが正しい選択なのか」と追及されたら「わからない」としか答えられない。

わからない、としか答えられないが、それでも私は私の選択に責任と自信を持って前を向く。二者択一の末に仕事を手放すようなことを私はしない。それは「仕事も子どもも大切だから」ではなく「子どもが大切だからこそ」に他ならない。悩み迷ってぶつかりながらも、生きること、働くことを心から楽しむ私の背中を見ていて欲しい。働くことを諦めさせた原因ではなく、働くことを支えているヒーローなんだと誇って欲しい。自分の子どもたちにも、そして、教室で待っている子どもたちにも「働くことは幸せ」で「大人になるって最高」で「自分主役の人生こそが、一番誰かのためになる」のだと私の姿に見て欲しい。

「決まってるでしょ!」涙ぐんだ私に「そうだよ〜」と息子が擦り寄ってくる。「ママの一番はソウマとナナとパパなんだよ。一番が三つなんて変だねえ」あんまりまじめな顔で言うので、夫も思わず「ホントだなあ」と笑っている。悩み迷いぶつかりながら。一緒に手をとり前を向いて。続けつなげて。私は働く。「決まってるんだよ」力強く乳を飲む娘の額にキスをして私も笑った。

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