【 努力賞 】
【テーマ:仕事・職場から学んだこと】
スーパーマン
京都府 スーパーマン 26歳

社会人になって1年が経った。就職活動時、他人から羨ましがられたり、よく見られたりする仕事に就きたいと思っていた。しかし、内定を頂けたのは現在のコンビニエンス業界。希望の就職先ではなかった。お店で商品を発注してレジを打つ日々は、学生時代思い描いていた社会人の姿とは全く違う。就職したことを後悔することもあった。

ある朝、列に並ばずに商品をレジに持ってきたお客さんがいた。私は「申し訳ございません。大変込み合っておりますので、1列にお並びいただけますか」と言うと、お客さんは「コンビニ店員のくせに偉そうに命令しやがって」と言った。その時、コンビニ店員というだけで馬鹿にされたように感じ、やり場のない怒りを覚えた。しかし、時間が経つにつれて、私自身もコンビニ店員という仕事をそのお客さん同様に差別していたと再認識させられた。この経験から、誰もが人のために働いていて、仕事によって優劣はないということを学んだ。

ある夕方、床を磨いていると、おばあちゃんがコピー機の使い方がわからず困っている様子だった。声を掛けて一緒にコピーを終えると、次は携帯電話に対応する種類の充電器はどれか質問された。私はいくつか商品をおばあちゃんに手渡してお薦めした。最後にレジでお会計を済ませると、おばあちゃんは病院の場所を聞いてきた。地図を描いて道案内すると、おばあちゃんは「あんた、何でも教えてくれてスーパーマンみたいやな。ありがとう」と言い残し、ゆっくりと歩いて行った。嬉しい気持ちになった。初めて仕事にやり甲斐を感じた瞬間だった。

私はコンビニ店員が誰かにとってのスーパーマンになるなんて思ってもいなかった。しかし、確かに普段の業務を思い返せば、商品について聞かれても大丈夫なように食べ物から家電までの幅広い商品知識を持っていなければいけないし、道案内できるように周辺の地理についても詳しくなければいけない。最近では、お店でサンドウィッチやお弁当を作ったり、コーヒーショップ店員のような一面もあったりする。さらに、外国のお客さんが来たときには英語での対応も必要になるし、店内のATMを使う高齢者の振り込め詐欺を未然に防いだこともあった。こうしてよく考えると、コンビニ店員は何でも知っていて何でもできるスーパーマンだったのだ。

私はコンビニ店員という仕事を食わず嫌いしていた。でも、今はこの仕事にやり甲斐を感じ、誇りを持てるようになった。もう世間体のよい仕事に就くことばかりを考えていた頃とは違う。どんな仕事も人から必要とされて、人のために働くのだ。

私は気付いた。働く誰もが、誰かにとってのスーパーマンであることを。

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