【 努力賞 】
【テーマ:私の仕事・働き方を決めたきっかけ】
新しいドアを開けて
徳島県 匿名希望 26歳

どんなに仕事が見つからなくても、介護だけはいやだな。毎日のように求人誌をながめながら、思っていた。非正規雇用で働いていたが、上司と折り合いが悪く転職を考えていたのだ。そこへ、知人から、「ひとを募集しているところがある」と、タイミングよく求人の紹介があった。すでに二十代半ばになり、資格もスキルも特に持っていないため、面接を突破できずに悩んでいた私は、藁にもすがる思いでその話にのった。

週五日勤務の、介護施設での事務員の仕事だった。「ときどき介護のほうを手伝ってもらうかもしれないけれど」ということだったが、少しくらいならしかたないか、と思ったし、転職活動に疲れ果てていて、早く決めてしまいたかった。

そして、正式に採用されることになり、書類などを受け取りに行って、驚いた。

なんと、事務員ではなく、介護をする職員としての採用になっていたのだ。「え、マジで?」と思ったけれど、前いたところにはすでに退職届を出しており、今さら「じゃあけっこうです」とも言えなかった。私は無資格・未経験だし、介護の仕事自体もやりたいとは思っていない。そのことは面接でも伝えたし、相手も分かっている上でこういう役割をふったのだから、「できる」と見込まれているのかな、と前向きにとらえることにした。

何より、初めて「正規職員」で雇われることになり、提示された給料も今までの仕事よりちょっとよかったので、すぐに「やめます」と言うのが惜しかったのもある。

こうして、思わぬきっかけで、ぜったいにやりたくなかった介護の仕事をやることになり、何の知識もないまま、初めて現場に足を踏み入れることになった。

私が勤めることになった施設は、障害などが比較的軽度のお年寄りたちが生活しているところだ。排泄や入浴の介助は必要だが、頭はしっかりしている人も多く、会話や趣味を楽しんでいる。年齢は八十前後から百歳すぎの方までいるが、二十代の私には、どういう感覚で生きていらっしゃるのか、想像もつかない。

そのため、最初は意思の疎通も難しかった。話しかけても、まったく反応がない方もいて、困っていたら、先輩職員に「もっと大きな声で、耳元で話さないとだめ」と助言された。他にも、身体に麻痺があったり、歩くのが不自由だったりする方は、寄り添って支えるよう言われたが、どこをどう支えればいいのか、教えられてもさっぱり飲み込めなかった。

特に戸惑ったのは、普通の企業や店での仕事と違って、効率最優先・マニュアル重視というわけにはいかないこと。一日のスケジュールは一応あるけれど、利用者さんの体調に合わせて、前後したり変更になったりする。マニュアルどおりに動き、指示がないと何もできない、単純アルバイト仕様の私は、臨機応変に対応するのが苦手で、苦労した。

だけど、どんなことにでも言えるのは、実際の仕事と、イメージは違っている場合も多いということだ。私はこれまで、介護職に対して、「職場環境が悪い、ギスギスしている」とか、「お年寄りのケアなんて、他にできる仕事がない人がしかたなくやる底辺の仕事」だと、ネットなどで見たマイナスのイメージしか持っていなかった。

でも、実際には、情熱や愛情がないとやっていけない仕事だし、先輩たちはみんな優しい。利用者さんも、未熟で何もできない私を温かく見守ってくれて、いろいろ意見をくれる。何より、普通の会社で働くのに比べ、一日に「ありがとう」と言われる回数が格段に多い。どこまでやっていけるかまだまだ分からないけれど、ここに根を張っていきたいと今は思っている。きっかけは突然すぎて戸惑ったけれど、知らない世界を知る機会を与えられたことに感謝している。

戻る