【 努力賞 】
【テーマ:仕事・職場から学んだこと】
指標
東京都 石井英友 24歳

二年前、大学を卒業し、ある会社に入社した。そこに通ううちに感じたのは、社員のマニュアルというものへの思い入れの強さである。

無論、マニュアルは仕事をする上での指標となるものであり、また社員の就業意識や行動を統制するために必要なものであることは疑わない。そうなのではあるが、私が感じた違和感は、まず社員の側にある。マニュアルに対して崇拝に近い信頼を寄せている社員が多数見られたのだ。何かと行き詰ればパラリとめくり、その場その場を切り抜ける。接客に関しても、文言通りの言葉を並べる。どうにも、人間の職場の気がしなかった。

それに関連するかは定かでないが、高校の教師をしている知人の話によると、生徒や保護者の部活動に対する目線が変わってきているらしい。やや乱暴な言い方をすると、昔と比べて「部活動をする時間があるなら塾に通い(通わせ)、少しでも上の大学を狙う」という考えが増えてきているそうだ。ううん…、正直、素直に頷くことはできない。部活=疲れる=勉強の妨げ、という構図は否定しないが、すこし狭量すぎやしないか、と思ってしまう。

道徳の授業が「教科」に格上げされることに決まったそうだ。社会の道徳への関心が強まっていることの表れだと思うが、そうであるからこそ、そっとしておいてあげて欲しい、というのが私の思うところである。道徳は、他の教科の背景にあるからこそ機能する類のものである。そのうち、中学高校で「コミュニケーション能力」という授業がカリキュラム化するのではないかという気にもなってくる。

こういった出来事を見ていく中で私が感じたことは、明確な「答え」を誰かが導き出してくれることを待つ風潮が強くなっている、ということである。あらゆる社会、あるいは職場には、見えない空気や、暗黙の了解のようなものがある。ここに関しては、先輩からのアドバイスに頼るなり、マニュアルを参考にする方がスムーズかもしれない。しかし、ここから先はその人次第だと思う。

マニュアル崇拝型社員にみられる傾向として、接客の最大の目標を「相手を怒らせないこと、こちらに非をつくらないこと」としていることがある。もちろん、間違ってはいない。しかし、なんだか寂しいような気がした。それは、社員同士の信頼関係が希薄であるため、一人で闘っていくための適応活動に感じられたからである。

組織社会で労働をするためには、一人ひとりの他に対する信頼が最重要であると思う。それは、あいつはマニュアルどうりにこなしてくれるだろう、ではなく人間に対するものであってほしい。というよりそうでなくてはならない気がする。単純に、握手をしたからそこにつながりができるわけでは、決してない。

私が以前勤めていた職場で何度も失敗をした。そのたびに先輩や同僚に迷惑をかけ、落ち込むこともあった。しかし、そこでかけていただいた言葉に、「先に進まないやつは失敗すらできない」というものがある。甘えかもしれないが私はこの考えに賛成である。結果的に、失敗は何もしないゼロよりはマイナスかもしれないが、そこから得られるものは勝ち続けることよりもはるかに大きい。しかし、それが成立するためには周囲の環境と個人の考え方が大前提なのである。

小さい頃、きちんと自分で考えて行動し、答えを導き出せる人間をおとなだと思い、憧れていた。実際、今でもそう思うし、体現できている人たちは魅力的だと思う。年齢的にはおとなになった今、下の世代の見本になりたくないが、見られても恥ずかしくないぐらいにはなりたいと思う。

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