【 努力賞 】
【テーマ:仕事・職場から学んだこと】
本当のクレームとは…?
ニューヨーク州立大オルバニー校 天野志保 20歳

夏休みに、留学先から一時帰国した私。共働きの両親がいない家にぽつんと一人いるのも空しく、果物の箱詰めの短期バイトに出た。毎朝9時に出勤し、お中元のピークには夜の9時に帰る毎日。葡萄や桃の検品、袋詰めから始まり、箱詰め、包装、伝票貼り、発送まで行う。そして、全ての出荷が終わると翌日に持ち越された数百という注文の為に箱折りを行うのだった。ギフトカタログによって箱や詰め方、包装は様々で、ざっと数えただけでも20種類はあるだろうか…。それを代わる代わる休む暇なく続ける。

7月の半ば、鳴り響いた電話のベルに駆けて行った部長が小さなため息と重苦しい表情を抱えて戻ってきた。「どうしたんですか?」強面で凛々しい部長の肩ががっくり落ちていたので私は声をかけた。部長は少し躊躇いがちにでもはっきりと言葉を吐いた。「クレームや、クレーム…。全く…近頃は大変なんよ」「あ〜ぁ…」私は思わずこんなリアクションしか取れなかった。思い返してみると、最近、テレビ番組なんかでも理不尽だったり度が過ぎたりのクレーマーについて取り上げられていた。特に取り扱っているのが食品である会社にとっては、さぞ、クレームはデリケートな問題であるに違いない。私は、興味のままに続けた。「で…、どんなクレームだったんですか?」「ピオーネのな、粒がな。袋から出した瞬間、コロンって房から取れたんじゃと、それで食べる気が失せたらしい」「・・・はぁ?!」私はあっけにとられて、というか拍子抜けして思わず声を上げた。葡萄の実が一粒コロッと房から取れたからクレーム??房からすべての粒が外れてたわけでもないのに。味なんて、全然変わらない甘くておいしいままだ。だいたい、果物なんて植物だからどんなに管理しても天候によってどうしても皮が薄かったり、実が大きすぎたりして取れやすいことだってある。でも、このお客さんは同商品の再発送を要求しているとか…。もちろん、送っている元々のぶどうは既に彼らの胃袋の中だろう。Noway!そんな気分だった。すると、部長はさらに去年あった驚きのクレームを教えてくれた。それはメロンの発送で起こった。会社のロゴマークが葡萄なので、完全包装指定のあったメロンの箱を会社のロゴ付包装紙で送った時のこと。お客様からお叱りの電話があり、こう言われたそうだ。「中身がメロンなのに、葡萄の包装紙はおかしいだろ!」しかし、これは会社のロゴマークで…話は通じなかった。結局、その包装紙は使わなくなり、どんな果物にも対応できるカラフルな柄の包装紙に変更された。ここで一言言っておきたい。私は決してお客様に対しての愚痴を、声を大にして言いたかったのではない。一消費者として、そして、一労働者として消費者の品格というものを今一度社会に問いたくなっただけなのだ。葡萄の粒が一粒とれていた事。メロンの箱の包装が葡萄柄だった事。そんなに大きな事なのか。絶対にクレームを出さないように、沢山のスポンジでメロンを包む。二重も三重も。桃は特殊なキャップで包んだ上に更に分厚いスポンジを被せ、葡萄は何重にも巻く。クレームが増えれば、その二重、三重が四重、五重になる日も来るかもしれない。今のクレーム処理に終わりはないように思えた。私は一つ一つのクレームに対して誠実に対応しようと部長がすればするほど辛かった。バイトの分際の私から見れば、どうでもいい自分勝手なクレームも沢山あったからだ。I have a claim この言葉の意味を私達はどう考えるだろう。また、どう考えるべきなのだろうか。留学先の大学の宿題で度々この言葉に巡り合った。その度に所謂、『日本流』のクレームを頭に思い描いていた。商品やサービスに欠陥や不備があった場合、消費者が提供者、企業側に対して苦情を言う事。しかし、本場の意味はこうだ。『権利を主張する事』『真実を断言する事』私はこれこそクレームの真の意味であり、我々消費者また、労働者、そして会社が心にとめておかなければならないクレームの本質ではないかと強く思う。本来、クレームとは、商品に対してお金を払って正当なサービスを受けようとする消費者の権利を守るものであり、また、何か商品等に問題が見つかった時にその真実を会社に正当な形で報告する手段でなければならないと思う。本来、会社と消費者のコミュニケーションの懸け橋となるクレームが今では一部の消費者の中では単なる私利私欲を満たす抜け道になっているように見えるのだ。これからの日本人の消費者には、電話の受話器を握る前にぜひとも思い起こしてほしい。クレームとはその会社をよくも悪くも変えてしまう恐るべき力があることを・・・。

戻る