【 入 選 】

【テーマ:仕事・職場から学んだこと】
誰かと繋がる「思い」の味
埼玉県 雙葉あゆみ 26歳

「子供たちと、私たちのために、創ってくれたのですね。わくわくします。ありがとう」
私は、保育園の園庭遊具の設計に携わっている。これは就職して3年目の後半、ある保育園に新設遊具の提案をした際、園長先生が言って下さった言葉だ。打ち合わせを何度も繰り返し、考え抜いたプランだった。私は設計担当として、思いが伝わったことに大きな喜びを覚えた。

成長するため、視野を広げるため…。仕事の動機は様々あるが、私は仕事とはそのような「自分のため」だけで成立するものではないと思う。そこに「誰かのため」を思う気持ちが加わってこそ仕事は仕事たりうるのだ。しかし、私は暫くそのことに気づけず、自分のために頑張ることだけで完結してしまっていた。仕事に対する姿勢を考え直すきっかけになったのは、ある日私がボロボロに疲れた時に食べた、母親の料理の味だった。

私が就職をしたのは2011年の4月、あの東日本大震災からまもなくのことだった。私はこのタイミングで自分が社会人となることに、使命感に似たものを覚えていた。関東にいた私には大きな不幸がなかったものの、被災地では2万人もの人が命を落としており、その状況にあって、私は自分の命を「運よく生かされた」奇跡的なものと感じ始めた。そして、これから社会人になるということは、大地震に際して停滞した社会を創る一員となるということだ。私は奇跡的に生きているこの命でもって、社会に参加していこうという意識を固めた。

そして私は、決意通り仕事に精を出し、建築やデザインの知識をゼロから覚えていった。そこには、自分が勢いよく成長していく快感があった。「私、頑張ってる!」そう思えることが嬉しく、私は仕事にのめり込んだが、やがて大きな壁にぶつかることになる。2年目に入ってまもなく、私は大規模な遊具設計の仕事を任された。難易度の高い仕事に必死でぶつかったが、何度やってもやり直し、毎日終電まで仕事をするような日々が続いた。
「あなたのプランには思いがない」
厳しい担当営業から何度も言われるその言葉の意味を、私は図りかねた。なぜこんなにもボロクソに言われるのかが理解できなかった。私はこんなに頑張って、時間をかけて遅くまでやっているのになぜ、 と。

そうして毎日を過ごす中、一人暮らしであった私はあまりの仕事疲れから、週末を実家に帰って静養しようと、ある金曜日、千葉の実家に帰った。連日の残業で疲れ果てた私を待っていたのは、母親の手料理だった。白飯にあさりの味噌汁、生野菜のサラダにごぼうのきんぴら、そしてメインのトンカツ。一人暮らしで多忙な日々を過ごしていて、日々一汁一菜にすらならない位の適当な手料理で済ませていた私には、久しぶりの豪勢な食事だった。そしてその味に、私ははっとした。普段いい加減に摂る食事にはない温かさ、優しさがそこにはあった。「ありがたい…」思わずそう口にしたとき、私は営業に言われた言葉を思い出した。「思いがない」

そのとき、私の仕事にない「思い」の正体に気づいた。誰かを思う気持ちだ。必死で血眼になって作業をする、そのパソコンの画面の奥に、誰の喜びや笑顔を思い描くのか。私はただ、頑張ることしかしていなかった。それは自分のためでしかなく、だからパソコンの画面で行き止まりになっていた。私はふと、地震のときに漠然と感じたことを思い出した。私はこれから社会人として、社会と、誰かの喜びと、繋がっていくのだと決意したはずだ。

仕事とは、お給料を貰う以上、個人的な頑張りだけでは味気がない。お客様のためになることを必死で考えたとき、それが、まるで母親の手料理のような温かい「思い」となる。それが伝わってこそ、自分が誰かと繋がり、温もりをもった仕事が完成するのだ。

大震災にあっても生かされたこの命は、微力ながら、働くことで社会と、誰かの喜びと繋がろうとしている。

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