【 努力賞 】
【テーマ:仕事・職場から学んだこと】
守・破・離
大阪府 溝上裕介 41歳

14年前、私は倉庫で化粧箱の棚卸し作業をしていた。元々営業職として入社して4年が過ぎ、仕事にも慣れた頃であった。そんなある日、社長より子会社に出向を命じられた。営業車に乗り、顧客との折衝をする毎日であったが、この倉庫は時が静かに流れている。不安だった。自分はどうなるのか。

数ヶ月後、その不安は的中し、私は子会社に転籍となった。子会社は、社員が10人程度の小さな会社であった。沈んだ表情をしている私に優しく声をかけてくれたのが、製造部のWさんであった。
「まあ、そんなに落ち込むなや。まあ、ゆっくり仕事を覚えたらいい」Wさんは、50代後半で、背の低い太鼓腹。機械には精通しているが、作業は大雑把でどんぶり勘定である。営業で数字に敏感だった私には耐えられなかった。Wさんは、いい人ではあるが仕事においてはこの人とそりが合わない感じがした。そんな気持ちが仕事ぶりに出た。

ある時、紙を打ち抜く機械の設定数値をしつこく聞いた。
「お前、険のある言いかたするなや。お前そんなに、わしがいやなんか。プライドがあるのやったら勝手しろや。何も教えんぞ」Wさんは、そう言い放った。

私は、ドキッとした。大学卒というプライドは意識していなかったが、Wさんは見えたのだ。私は、次の日Wさんに謝った。Wさんは、私の性格まで見抜いていた。「お前は、頑固な性格だから、いっぺん突き放してみた」と。気持ちが吹っ切れた感じがした。Wさんに付いて行こう。Wさんは、職人気質である。シートを機械で打ち抜く際、紙やフィルム等様々な材質、厚み、抜く形の形状等を一瞬で見抜き、機械操作するのである。私はプライドを捨てWさんの姿をみて、言葉を聴いて、仕事を会得していった。

子会社に転籍して1年が経った。倉庫の一部をクリーンブースにする工事を終え、新しい打ち抜き機が入った。携帯電話に使われるフィルムの打ち抜きをすることになった。社長は、私にその担当を命じた。その機械は、全ての操作を数値設定して自動で行うことができた。しかし、数値を入力するだけでは良い仕事は出来ないことに私は気付いた。様々な材質のシートを数多く打ち抜いて最適な数値を探す。探すことが出来たら、そのときの仕事の段取りを頭に叩き込む。そして、似たような素材を打ち抜く際、設定数値と段取りを引き出してきて微調整し、打ち抜く。まさに経験を蓄積し、応用し仕事に活かす。そして品質に反映させる。まさに、Wさんが行っていた仕事の姿勢である。

Wさんに「お前、仕事分かってきたな」と言われたとき、私は「Wさんのおかげです。ありがとうございます」と答えた。Wさんの笑顔は今でも私の脳裏に焼き付いている。

私は、自分なりの工夫をしてみた。記録シートを作って、材料・設定数値・段取りを記録し、他の作業者が見て作業しやすいようにした。私は、いつの間にか、他の作業者の指導をする担当になり、その後は品質管理を任されるまでになった。会社の規模も拡大していった。私が、この会社に転籍した時の不安はすっかり消えて、毎日が忙しいながらも充実した日々を送ることが出来た。

残念なことにその会社は、5年前に倒産した。リーマンショックによる急激な売上げ減少が影響した。最後まで、社員と頑張り力を出し尽くしたので、悔いは無かった。

今は、福祉事務所の仕事に就いている。3年間、訪問員として経験を積み、今春から、晴れてケースワー カーとなった。仕事していて少し気持ちが落ち込んだとき、仕事を学ぶ姿勢、仕事を工夫する姿勢をWさんから教わったことを思い出す。すると気分が一新され新たに自信が湧いてくる。製造とは全く離れた仕事であるが、きっと経験を活かすことが出来る。そして、一人でも多くの方々が健康で自立した生活が出来るよう、日々仕事に臨んでいる。

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