【 佳 作 】

【テーマ:仕事・職場から学んだこと】
山の祭典
宮崎県 杉田一成 66歳

「山の日」の制定は感慨深い。

平成4年4月。県のH事務所(延岡市)に赴任。林務課の普及第二係長になった。担当する林業普及指導区の中に、南郷村がある。現在、南郷村は合併して美郷町南郷区。

赴任した年、ブラジルのリオデジャネイロで地球サミット(環境と開発に関する国際連合会議)が開催された。

同年10月。第15回宮崎県育林祭は南郷村で開催。大会テーマは「みんなで守り育てよう地球のみどり」である。わたしは現地の育林祭担当係長。ベストを尽すしかない。育林祭は毎年、年一回の開催。木材の生産や水を貯えるなど多様な恵みをもたらす森林を後世に引き継ぐため、森林・林業・木材関係者が一堂に会し、育林意識の高揚を図るのが目的である。いわば、山の祭典だ。

南郷村は県北の日向市から西に40km。人口約3千人の山村である。当村は「百済の里づくり」に取り組んでいた。西暦660年に滅亡した百済の王族が当地に移り住んだという伝説による村おこしである。村おこしは恋人の丘の整備や奈良の正倉院とうりふたつの西の正倉院建立など。

恋人の丘が育林祭の会場である。恋人の丘から村の町並を一望できる。恋人の丘に韓国の扶余(百済の古都)が友好の証として贈った「絆の鐘」がある。

育林祭に展示林は欠かせない。村役場のN係長さんが、「恋人の丘にオビスギの三つの品種、オビアカ、タノアカ、アラカワを植えた林齢21年生の村有林がありますよ」と言う。「これはいい。三品種の生長が比較できる。オビスギの品種別展示林を設置したい」と思い立った。村有林の近くに間伐(抜き伐り)が必要な林齢25年生のヒノキ林(A氏所有)があった。スギ林は過密になると自然に枝が落ちる。ヒノキ林は過密になっても枝が落ちない。抜き伐りをして、枝打ちをしないと林内に光が入らない。光が入らないと下草が生えない。下草が生えないと土が流出し、林が死ぬ。A氏の御協力で、ヒノキ間伐展示林ができた。

展示林の調査は、8月。雨の日だった。山を背にして輪尺(直径を測る器具)で、立木の胸の高さの直径を一本一本測る。1人が野帳マン。他の3人が測定者。測定者がそれぞれ木の直径を測る。山の斜面での作業は汗がしたたる。息がまく。おまけに雨だ。測定者が「18せーん」と声をはりあげる。直径18cmのことである。野帳マンは、「18せーん」と大きな声で復唱し、野帳ににまさづけしていく。ずぶぬれになって調査を終えた。 現地調査の結果をもとに、看板を作成。看板に、「スギ品種別展示林」と標記。三品種の各平均胸高直径14cm、16cm、18cm、樹高11m等を表示した。「ヒノキ間伐展示林」も同様である。整備した二つの展示林は整然として清々しい。

そのほか、当日の出し物は南郷村森林組合の自動枝打ち機、林業後継者のラジコン式自走搬機の実演。アトラクションは地元の子ども臼太鼓踊りと韓国のサムルノリと決まった。

いよいよ育林祭の当日。空はさわやかな秋晴れ。式典の開始を知らせる「絆の鐘」が恋人の丘に鳴り渡る。式典会場はすり鉢のような丘の斜面が客席。林業関係者など約500名が参集。客席の下方にステージが見える。ステージの壁には紅白幕が彩っている。主催者あいさつ。表彰行事など式典行事が進む。式典終了後、参加者は各展示林や実演などを見学。アトラクションを楽しんだ。

「山の日」は山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する日。林業の仕事をしながら山に親しみ、山の手入れや山の恵みを学んだ。

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