【 佳 作 】

【テーマ:私の仕事・働き方を決めたきっかけ】
背中を押してくれたおじさん
東京都 加藤彰俊 60歳

就職に向けて、一歩踏み出せない若者がいます。そういう若者の就労支援の現場で働いています。一度は正社員で働いていたが、失業の期間が長くなってしまったり、学校を中退後にひきこもりの状態になってしまったりと、それぞれに事情があります。

保護者に付き添われて来てくれた若者が、次には一人で来てくれて自分の思いを語ってくれる時、若者の表情、しぐさ、ことばに全神経を集中します。

そういう仕事が終わった時に、ふと自分の昔のことを思い出します。

35年前、交通事故で内臓破裂、寝たきり状態から抜け出したばかりのころです。ハローワークが、まだ「職業安定所」だった頃、雑役という仕事に応募しました。仕事は、陽の当たらない印刷室で、職人のおじさんに言われて、印刷機の汚れを「ウエス」というボロ布で拭き取る作業をするのです。

私が、まだ体力がなく顔色もさえない、そんな私を見た職人のおじさんがある作業を指示しました。「古くなって使われない印刷用の用紙を、部屋の片隅に並べて平らな畳一枚分ぐらいの広さにしなさい」というものでした。印刷用の用紙は、かなり重いのですが、その作業を終えたころ、おじさんが使われなくなったサンドバッグ(ボクシング用)と毛布を持ってきたのです。「加藤くん、しんどい時はいつでも、横になって休んだら、ええよ」普段は無口なおじさんの言葉、まだ元気がない私への思いやりに感謝しました。疲れたときに、いつでも横になって休めるという心の余裕ができて、私はおじさんと一緒に働きながら次第に元気になったのです。

ある日、そのおじさんから、「もう元気になったやろ、いつまでここにおるんや」と言われたのです。おじさんの手には、「正社員採用の案内」という刷りたてのチラシがありました。私は、おじさんの強い口調に背中を押されて、応募しました。

それから、時は流れて、1995年1月17日、大きな揺れで目が覚めました。阪神・淡路大震災です。通常業務を離れて、兵庫県の被災者の方の受け入れを担当しました。臨時に設けられた電話しかない部屋に缶詰め状態で対応に追われていましたが、ようやく休みが取れました。

職人のおじさんのことが気になりました、電車では途中までしか行けず、徒歩で神戸市に入りました。アスファルトがめくれあがり、道路が道路でなくなっていました。木造の住宅は、押しつぶされたように倒壊していました。

停電の街は、コンビニも自販機も使えず、冷え切って暖を取るところさえありません。以前、訪れたお家どころか、周辺がすべて壊れていて、前には見えなかった高速道路が見えていました。その強大な高速道路も倒れていたのです。

私の人生で、一歩踏み出せないでいた私の背中を押してくれたおじさんには、もう会えません。しかし、新年を迎えると、私は印刷用紙のベッドにサンドバッグ、毛布を与えてくれたその方の最後の年賀状のことばを思い出すのです。
「元気でいますか、これからも、加藤くんだからできる仕事をしてください」

戻る