【 佳 作 】

【テーマ:仕事・職場から学んだこと】
Kのこと〜喜ばれる喜びについて〜
京都府 正木隆之 59歳

「勝手口から、いきなり豆腐を投げつけられた時は、ほんまにビックリしたで」と苦笑するKに私は同情もせず、「そらみたことか」と思っていた。2度損をさせた客に、3度目の営業をかけたときの話だそうだが、損をさせると分かっていながら会社の利益のために売買を勧めたりするような営業が、この実直な男にできるはずがない。

Kは中学時代からの親友で、高校時代はよく人生や将来について話し合った。そしてお互い働くなら、非営利組織の方がいいなあと確認しあってきたはずだった。当時は公害や人間性喪失の問題が取りざたされている時代で、二人ともその元凶が過度の営利追求にあると考えていたからだ。

Kが東京の大学に進んでからは疎遠になったが、数年後に彼が中堅証券会社に就職したと聞いたときは心底驚いた。どういう心変わりか知らないが、この朴訥な男が、よりによって生き馬の目を抜くような業界に身をおくとは!と信じられなかった。

一方私は、思春期の理想を守って青少年団体に就職し、「人間的で平穏な日々」を享受していたが、8年目のある日、専務理事から呼び出され特命を言い渡された。それは「受託している青少年宿舎の利用率が下がっており、3年で2倍の利用増を達成できなければ閉鎖される。至急対処せよ」という困難な命令だった。それから私の仕事は一変した。非営利うんぬんなんて言っていられる場合じゃない。スーツに身を固めて営業パンフ片手に、各地の大学や案内所、旅行業者などを巡る日々が続いた。

考えつく方策はすべて実行するという方針をとったので、いくら時間があっても足りない。施設の改修、食事やサービスの改善、営業や広報の強化、イベントの開催と、毎日深夜まで働く日々が続いた。

幸い努力は報われ、活動初年から数字はあがり始めて、3年後にはほぼノルマを達成することができた。その上、幸運の女神が微笑んだのか、数年後には老朽化した施設の建替えまで決まってしまった。

後年、新しい施設の竣工式で,私は何人もの人から「ここまでたいへんだったでしょう?」と訊かれたが、「いや楽しかったですよ」と答えた。嘘じゃない、それが正直な気持ちだった。

最初、危機感から動き始めた頃は辛く感じたこともあったけれど、途中から目標を達成する喜びに鼓舞され、さらに「人に喜んでもらう喜び」を知ってからは、仕事が生き甲斐と言えるようにまでなっていたと思う。

宿業の仕事というのは決してスマートでも綺麗でもないが、最大の利点は目の前にお客さんの姿が見えるということだ。良かれと思ってしたことが、すぐに「ありがとう」という感謝の言葉や笑顔になって返ってくるのは、何ものにも代え難い喜びである。人に喜んでもらうのが嬉しくて、ついついリクエストに応えているうちにここまで登ってきてしまったのだ。

さて、豆腐を投げつけられたKのその後について書いておきたい。彼は32歳で本社の営業課長になり、最後は大阪支社長にまで昇りつめた。「えっ、なぜ?」といぶかしく思われるだろうが、彼の話を聞くと納得する。

彼は豆腐事件の後、このままではいずれ自分も潰れてダメになるだろうと自覚したそうである。そして、どうせ辞めることになるなら、その前に自分の仕方で営業しようと心に誓ったという。そして会社の営業方針を離れて、真にお客さんに喜んでもらえるよう親身なアドバイスをするようにしたらしい。ただそれだけのことだが、元々の彼の人柄も味方して多くの顧客がつき、あれよあれよと言う間に営業成績がトップになったということだった。

仕事に対して求めるものは人それぞれ違うだろうが、もし、仕事に喜びを求めたいということなら、「人に喜んでもらえるよう」誠実に努力することに尽きると思う。仕事というのは、つまるところ人と人との関わりなのだ。

Kと私はずい分違った道に進んだように思っていたが、結局は同じところにたどり着いたのだと思う。

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