【 佳 作 】

【テーマ:仕事・職場から学んだこと】
肥やし
神奈川県 どんぐりこ 47歳

社会人になって25年が経った。若い頃は失敗するたびに自分はダメだと落ち込む日々。嫌なことは極力避けていた。しかし、それでは辛い過去がたまっていくばかりだ。「負」をはねのけられるのは自分しかないことをいま痛感している。

大学卒業後、私は小学校の教員になった。子どもから慕われる元気な教師を目指したが現実は厳しく、毎日が学級崩壊との戦い。試行錯誤するも5年で退職し、しばらく腑抜け状態に陥った。次の仕事を探す気にもなれずにいたが、生活を考えるとそうもいかず、知り合いの紹介で教育関係の事務職に就いた。

正直、教育の仕事は避けたかったが、教育以外のことをする部署も多いと聞き決心した。しかし、配属されたのは小中学生のための通信教育を扱う部署。教材の編集や受講生とのやりとりが必要になってくる。自分に務まるだろうかと不安を抱きつつのスタートだった。

当初は、静かな事務所で子どもたちの反応を想像しながら教材について考えるのは楽しく、同僚にも恵まれて軌道に乗った。しかし、キャリアがついてくると面倒なことも任されるようになる。責任の重圧につぶされそうになったり、人間関係に悩んだり。たえず退職願いが頭をよぎるようになった。

そんなある日、取引先とトラブルがあった。
早く解決しようとして行ったその場しのぎの対応が更なるトラブルを生んでしまった。投げ出したくなっていると、上司に言われた。
「辛さはすべて肥やしになる。嫌なことがあったらラッキーだと思いなさい」

そして、表面だけを繕っていてはいつまでたっても強くなれないよ、と。

思い通りにいかなければ不幸だと当り前のように感じていた私には目からうろこだった。「肥やし」という言葉に気持ちが前を向き、困難をできるだけ避けていたそれまでの姿勢を見直した。その場をしのいでも根本的な解決にはならないことを痛感させられた。

そこでトラブルの原因を整理し、厳しい態度で相手と向き合った。時間はかかったが、円満に解決できたときは大きな喜びを感じ、自分の成長を実感した。そして、教員時代、学級をうまく運営できなかった理由がはっきりわかった気がした。それまでは経験不足や性格的な資質のせいにしていたが、私は「人間として」未熟だったのだ。

その後、「肥やし」を得ることで課題を克服していく喜びを知り、教員時代のトラウマは徐々に消えていった。

もし、あのとき再就職せずにいたら、「退職届け」を出していたら、トラウマを消すことはできなかっただろう。嫌なことがあると遠ざかりたくなるが、それでは傷は癒えない。苦い過去は封印するのではなく、未来につなげてこそ解消できることを感じた。

仕事では気持ちに反して前を向かざるを得ない状況に置かれることが常だ。だからこそ強くなれる。お金を得ることで「辛さも給料のうち」と思えるのも仕事ならではの救いだ。

先日、昔の教え子たちが同窓会に招いてくれた。小学生だった彼らも30歳を超えた。当時の話になり授業が上手にできなかったことを謝ると、ある教え子が笑顔で言った。
「大丈夫。先生の授業なんて一つも覚えてないもの」

苦笑していると、言われた。
「でも僕はあのクラスが大好きだったよ。先生、今後何かあったら相談にのってよね」

長年ひっかかっていたものが取れたのを感じた。相談にのってほしいと言われたのが嬉しかった。師として認めてもらえた気がした。

仕事をしていなかったら、私は同窓会には出ていなかっただろう。社会人としての自負を持てていたからこそ教え子たちに再会しようと思えたのだ。

仕事をし続けることで多くの肥やしを得てきた。これからも成長していきたい。

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